漆問近思

 斎藤がパスを繋ぎ直すと、千尋はすぐさま念話で『セイバー!』と声をかけてきた。何故パスを切っていたのかと詰める千尋に、斎藤は『ちょっと散歩したくなって』と適当な理由をつける。それが真実ではないことは、すぐに伝わったのだろう。千尋は納得していない様子ながらも、しかしそれ以上追及することはなく、ひと言『勝手な行動は慎んでほしい』と告げた。

 午後の授業を終え、部活動も終えた千尋が向かったのは、自宅ではなく自身の工房だ。ソファーに寝転がると「疲れたー!」と元気よく宣言する。斎藤も霊体化を解き、向かい側に腰を下ろす。

「お疲れ様、マスターちゃん。今朝あんだけ動いたのに、よく居眠りしなかったねぇ」
「すぐ傍に人目があると思うと、寝ようにも寝られないじゃん。……セイバーは勝手にどっか行ってたらしいけど」
「すまんって」

 悪びれる様子もなくヘラヘラと笑ってみせる斎藤に、千尋は不満げな顔をする。

 斎藤は工房を改めて見渡し、その異質さを知る。
 魔術師の工房というのは、斎条家にあったあれが正しいのだろう。千尋の私物で飾られたこの場所は、やはり工房などではなく隠れ家という訳だ。秘密基地と言い換えてもいい。

(家の部屋には何も置いてなかった。……居場所がないのか)

 息を潜めて、自分を殺して、そうしてあの家で過ごしてきたのだろう。家と離れたこの場所に、逃げ場を用意し、ようやく耐えられる程の苦痛。……斎条家が腐っているのか、魔術師という生物が腐っているのか。斎藤には分からないけれども。

「マスター」

 その顔から笑みを消し、真剣な声色で自身を呼ぶ斎藤に、千尋は目を瞬かせる。

「お前、聖杯に何を望んでる?」
「何……って、そりゃあ、……斎条家の魔術師として、根源に至る為の方法だろ」
「それはお前自身の願いか? お前を利用してる両親の願いの間違いだろう」
「……セイバー、まさか斎条の家に行ってたのか?」
「いま聞いてんのはこっちだ。答えろ」

 斎藤の鋭い視線を受けて息を飲んだ千尋は、そろりと起き上がると額に片手を当てて長く息を吐いた。

「セイバーは……オレをなんだと思ってるんだ」
「…………何?」
「オレの願いを聞いて、どうする? 根源到達以外の願いなら満足か? これから戦争に臨む上で、絶対に知ってなきゃならないことか? ……違うよな」

 顔を俯かせ、上目遣いで斎藤を睨めつける千尋。

「オレはあんたのマスターで、聖杯に選ばれた魔術師だ。詮索して何になるってんだ」

 千尋は自身の右手に刻まれた令呪に目を向ける。三回までの、サーヴァントに対する絶対命令権。令呪を理由にサーヴァントがマスターに付き従っていることを思えば、使えるのは実質二回までだろう。
 ──その一回を、こんなくだらないことで消費してしまうか、否か。

「俺はサーヴァントだが、こっちにも自由意志ってモンがあるんでね。力を貸すに値しないと判断すりゃ、その右手、切り落としてもいいんだぜ」

 そう低く言って鯉口を切る斎藤に、千尋は息を飲む。
 令呪が無くなれば、聖杯戦争への参加権を失う。……聖杯を手にできる可能性が潰える。邪魔されるくらいなら、無理矢理にでも令呪で従えるべきか。

(…………いや、令呪が欠けていることがバレたら、面倒か……)

 唇を噛み、「……帰る」と声を絞り出して、千尋は出入口へ向かう。扉に手をかけた時、首筋に鋭い刃が添えられた。

「まだ話は終わっちゃいねぇぞ」

 鼓膜そのものが拍動しているかのように、命の危機を感じ取った心臓が喧しく脈を打つ。手汗が滲み、背筋が凍り付くような感覚に襲われた。──動けば死ぬと、本能が警鐘を鳴らす。

「……終わりだ。これ以上、話す事なんてない」

 か細い声で千尋は告げる。

「聖杯さえ手に入ればいいんだ。マスターの願いなんて……あんたに、関係ないだろ」
「…………お前」
「聖杯戦争で、勝って、聖杯を手にする。根源へ到達する。斎条の悲願は、オレの悲願だ……」

 震える声で言葉を紡ぐ千尋に、斎藤は刀を下ろす。

 刀を向けられれば恐怖する。そんな人間として当たり前の感情が機能している癖に、“聖杯を手にする”という言葉以外に自分の意志が乗っていない。
 ……意志の強さだけで人が生きられる訳でもないのに、意志薄弱となればさらに死は近づく。

 斎藤は、みすみすこの少年を死なせる訳にはいかないというのに。

「……なぁ、マスターよ。この世の中、生き残った奴が勝ちなんだ。死んだら負けだって分かってるか?」
「…………分かってる」

 まるで斎藤を拒絶するように、扉が閉まる。サーヴァントとして傍にいなければという義務感が、斎藤に千尋の後を追わせた。霊体化し、少し距離を空けて着いて行く。
 学校から工房へ向かう時のそれと比べ、格段に重い足取りで自宅へ向かう千尋。

 そんなにあの家が嫌ならば、逃げてしまえばいい。──そう思い、言ってしまうのは簡単なことだが。

(何で逃げようとしない。何故魔術師でいようとする。お前は……アイツらとは全く違うだろうに……)





 千尋が自宅に帰ってすぐ、母から明日、魔術刻印を移植するのだと告げられた。ついでに、聖杯戦争に備えて魔術回路も増やすと言われ、千尋の首筋を俄かに冷や汗が伝う。

 自室に入った瞬間、千尋は扉のすぐ近くで蹲った。斎藤は実体化し、千尋の肩に触れる。実体化した後に、昨晩「使い魔の目があるかもしれないから止してほしい」と言われたことを思い出した。
 だが、いっそ哀れな程に小さく震える少年を静観できる精神を、斎藤は持ち合わせていない。

「魔術刻印の移植ってのはなんだ。何をされる」
「…………。……魔術刻印は、魔術師の家系に伝わる、家宝、みたいなもので……。オレは、斎条の刻印が体質に合わないから、ちょっと……疲れる」
「……魔術回路を増やすのは」
「魔力を生み出す臓器を、他所から持って来て、体に馴染ませる。それだけ……。同時にやるのは、さすがに初めてだから……、……結構、疲れる……かも」

 疲れる、というだけでこれ程震えるものか。体温は下がり、額には脂汗が浮かんでいる。

「マスター、」
「大丈夫。必要な事だ、大丈夫。もしかすると、これがきっかけで聖杯戦争に勝てるかもしれない。セイバーの援護を、100%できるようになるかも」

 そう斎藤に言い聞かせる千尋は、それ以上に自分に「大丈夫だ」と暗示をかけているのだろう。その姿の、なんて哀れで痛ましいことか。

 斎藤は眉を寄せ、顔を歪めて小さく吐き出した。

「…………俺が、この家から逃がしてやるって言ったら、お前は……」

 顔を上げ、斎藤が情けのない表情だと自覚しているそれを見て、千尋は困ったように眉を下げて笑う。

「はは……っ、何言ってんだよセイバー。オレは聖杯が欲しいんだ。逃げる為じゃなくて、戦う為に力を貸してくれよ」
「…………そうか」


 ──翌朝、千尋は学校を休み、無地の入院着の様な服に身を包んだ。

 残念そうに「今日は稽古つけてもらえないなぁ」と呟き、部屋を出て行こうとする千尋の手を、斎藤は掴む。
 行かせたくない、行かせる訳にはいかない。……そんな斎藤の想いが、手から伝わりでもしたのだろうか。

「令呪を以て命ずる。……セイバー、オレが戻るまで霊体化して、この部屋で待機していろ」
「な……っ! オイ! 千尋……ッ」

 昨日は躊躇していたはずの令呪の使用。自分の意思とは関係なく霊体化するエーテル体。
 斎藤は部屋を出て行く千尋に続こうとしたが、足に重石でも付けられたかのように部屋の外へ出ることが叶わなかった。実体化していない以上、ただ声を発しても千尋には届かない。パスを通じ、念話で何度も呼び掛けた。

 何度も名前を呼んだ。
 何度も返事をしろと言った。
 何度も、何度も、繰り返した。

 ──千尋が返事をすることは、一度もなかった。

 千尋が地下室にいる間、幾度となく斎藤への魔力供給が無くなった。辛うじてパスが切れなかった為、斎藤は千尋の生存を認識し続けることができたが、悔恨と不安を募らせるには十分過ぎる変化だ。
 八時を指していた時計が二周し、そこからまた一周して、さらに半周程した丑三つ時に、千尋はようやく自室まで戻ってくる。

 千尋が戻ってきたことで令呪の強制力から斎藤は解放され、壁に体を預けていないと立つ事すらできないほどに衰弱している千尋を、すぐに実体化して受け止める。
 汚れひとつなかったはずの服に散る、赤黒いシミ。斎藤が千尋を抱えてベッドに寝かせると、千尋は胸の辺りを掴んで呻き声を上げた。

 今すぐ千尋をこの家から連れ出して病院へ駆け込むか──だが、そんなことをすれば、この家の人間にすぐに見つかる。逃がすどころではない。

(……それに、魔術のせいだなんだと言われちゃ、この家の奴ら以外に対処ができねぇ……)

 自分にしてやれることなど、何も無い。そう突き付けられるようで、斎藤は無力感に歯を食いしばる。

「……セイ、バー……」
「! 千尋……?」

 掠れた、か細い声で斎藤を呼ぶ千尋。自分の近くに置かれた斎藤の手を取ると、信じられないほど弱々しい力で握った。

「セイバー……オレの、セイバー……」
「あぁ……お前のセイバーだよ。何か、して欲しいことがあるか? 俺にしてやれる事は……?」
「……聖、杯……早く、聖杯が、欲し……い、なぁ……。オレ……も、…………」

 千尋は、気絶するように眠りについた。

 斎藤は、千尋の手を握ったまま、目が覚めるまで傍に寄り添った。

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