夏と林檎

目の前で首を傾げながら、アイスを口にする彼女に隠岐はもう一度同じ言葉を繰り返した。

「今週の日曜日、空けておいてな?」
「なんで?」

彼女は更に大きく首を傾げる。シャリっと音を立ててアイスを口に運ぶ。どうやら彼女は自身の発言を覚えていないようであった。好都合なのか、否か。良くも悪くも何も考えていないのが彼女の性格である。
隠岐は眉を下げ、困ったように笑って見せる。その表情に彼女は焦りを見せて不安そうにこちらを見つめた。そうやって自分のことになるといっぱいいっぱいになる彼女を見るのが、隠岐は好きだった。

「夏祭り。行きたいって言うてたやろ? 忘れたん?」
「あっ、夏祭り……」
「で、空いとる?」
「空いてるよ」
「そりゃあ良かったですわ。これで予定が埋まっとったらどないしようかと」
「誰も夏祭りに誘って来なかったし、隠岐くんに気を遣ったのかもね」
「せやな」

彼女は端末に入っているスケジュールアプリを起動させ、日曜日の項目に「隠岐くんとお祭り」と打ち込む。頭から音符が出ていると思えるくらい彼女は、満足気に笑っていた。

「めっちゃ嬉しそうやん」
「うん、お祭り好きだから」
「日曜日楽しみやなぁ」

隠岐は思い出したかのように、わざとらしく浴衣楽しみやなと一言添えた。





「と、ということでですね……」
「浴衣選びに付き合って欲しいと」
「モデルさんのファッションセンスをお貸しください」

彼女は諏訪隊の隊室で、オペレーターの小佐野に手を合わせていた。いつものように棒状のキャンディーを口にして、小佐野は彼女のことをちらりと横目に見る。小佐野ははなから断るつもりはない。ただこんなにも面白い事を一人で楽しむよりは、誰か誘った方がより楽しいだろうと企んでいた。

「仁礼も誘お」
「仁礼ちゃん?」
「そう」
「……おさのちゃん面白がってる?」
「別に〜?」

とても面白がっているのが本音だ。しかし可愛い友人の頼みである。どうせならあの隠岐を動揺させるくらいには、可愛い姿にしてやると意気込んでいた。

「なになにー!? 浴衣選ぶのアタシも行くー!」
「お、早い」
「面白がってないで協力してよ!」
「任せな! アタシらがちょ〜可愛くしてやるから!」

ドンッと胸を張った仁礼が分かりやすく自信ありげな顔をする。一抹の不安を抱えながらも、彼女は二人の背中に着いて行った。




着せ替え人形、まさにその名の通り彼女は二人によって着せ替え人形の如くあれだこれだと浴衣を着せられていた。
古き良き金魚柄、流行りのモダンやレトロ、更には薔薇の柄まで。あまりのスピード感にくらくらしてしまいそうになる。

「全部可愛いな!」
「絶対そう言うと思ったわ」
「でも、ほんと全部可愛い」
「あんたまでそんなこと言ってたら決まんないでしょ〜」

それでも小佐野が選ぶ浴衣はどれもセンスが良く、ひとつには絞りきれそうにない。

「いっその事ぜんぶツギハギみたいに……」
「何言ってんの」

店内をぐるりと見渡していた仁礼が、今までとは系統の違う浴衣に目をつけ、目を輝かせた。じゃーんとまるで自分の物であるかのように、二人に見せびらかしたその浴衣は猫がモチーフの浴衣であった。

「隠岐って猫好きっしょ」
「あ、うん。そうだよ」
「じゃあこれが良くない? 好きなもん同士が一緒になったら最高じゃん!」
「確かに〜」

黄色を基調とした生地に、紅い花と黒猫がデザインされている。彼女は迷わずその浴衣を購入することにした。ほんの少し高い出費ではあったものの、隠岐のことを考えればそんなことはどうでも良くなってしまった。彼のことを想うと、つい欲が深くなってしまう。

「当日のヘアセットやってあげるから、家行くよ」
「え? いいの?」
「アタシも行っていい? 隠岐だけが可愛い姿見られんのズルいし! てか浴衣選び手伝ったのアタシらだしな!」

彼女はきゅんとなる胸を抑えて、二人にお礼を述べる。振られたらおさのちゃんと仁礼ちゃんと付き合うと笑えば「振られないから安心しろ」と声を揃えて突っ込まれてしまった。

こころなしか、足取りも軽く思っているよりも浮かれていることに気付く。先程買ったばかりの浴衣を抱きしめ、彼女は頬を緩ませた。




珍しく小佐野と仁礼に声を掛けられ、隠岐は神妙な面持ちだった。恐らく日曜日の祭りに関わることであることは間違いないのだが、何故か二人が自信満々な顔をして「日曜日、腰抜かすなよ」と言うのである。
ひと足早く待ち合わせ場所に付いた隠岐は、二人の言葉を肝に銘じながら彼女の到着を待つ。するとブーッと端末が揺れ、一件のメールが入った。

『遅くなってごめんね、そろそろ着きます』
『そんなに急がんでええよ。何ならそっちまで行くで? 今どこ?』
『ありがとう。すぐ近くのコンビニに前の交差点だよ』
『隠岐、了解』

下駄を鳴らし、隠岐は彼女の待つ方へと歩き始める。目と鼻の先の距離にあったコンビニの入り口近くで、辺りを見回す彼女の姿があった。

声を掛けようとして、彼女の名前を呼ぼうとすると彼女の視界を塞ぐ男の姿が目に入る。こんなにもベタな展開があっていいものなのだろうか。隠岐はため息をつき、駆け足で彼女の側へと近寄った。

「ごめんなぁ、おれがもうちょい早く来れば良かったわ」
「あ、隠岐くん」

隠岐の顔を見た途端に、強ばっていた顔が緩んで安心した表情を見せる彼女。隠岐は彼女の手を握って、その場から強引に離れようとする。目の前に居る男は、邪魔をすんなよと彼女の肩に触れようとしたが隠岐がその手を叩いた。

「人の彼女に手出すの、やめてもらえます? 迷惑なんやけど」

彼は彼女を隠すように、手を引いてそのまま足を進めた。苛立ちから口数が少なくなり、次第に足取りも早くなる。彼女に名前を呼ばれ、ハッとしてその場に立ち止まった。

「すまんなぁ、ちょっとイラついてしもうたわ」
「ううん、ありがとう……」
「ん? どないした?」
「あ、えっと、そのね……」

顔を赤くした彼女が、隠岐を上から下まで眺める。両手を口元に添え、林檎のように染まった頬を隠すように笑う。彼女が言葉を発するより先に、隠岐は彼女の頬を撫でた。

「…………可愛ええ、今日めっちゃ可愛ええよ」
「さ、先に言いたかったのに」
「何でや。こういうのは男に先に言わせてや?」

編みおろしされた髪が崩れないように、優しく手を乗せ彼女の頭を撫でる。きゅっと目を瞑る表情が猫のようだった。

「隠岐くんも、格好いいよ」
「おおきに」

なんでそんなに余裕なのと不満げに眉を寄せる彼女に、隠岐は声を出して笑う。全くもって余裕なんかではない。好きな子の前では格好付けたいのがお年頃というものである。
薄暗い月明かりのお陰で、頬の火照りが隠れているだけなのだ。この胸の痛みは、治りやしないのである。

「猫ちゃん可愛ええな。小佐野ちゃんと仁礼ちゃんに選んでもらったんやろ?」
「まって、何で知ってるの?!」
「昨日二人に話しかけられてなぁ、日曜日腰抜かせんとき〜って言われたんやで」
「内緒にしてねって言ったのに……!」
「はは、おれの為やろ?」
「……うん」
「嬉しいなあ」

喜びを隠すことなく、笑顔を向ける隠岐に釣られて笑みがこぼれる。彼の浴衣の裾を握りしめて顔を見上げれば、拍子抜けした彼の表情が映った。普段よりも目元を輝かせるアイシャドウは、彼の瞳にはどう見えるのだろうか。提灯が照らす彼女の姿は、子供のようで大人の表情をしていた。

「あかん、あんまこっち見んといて」
「隠岐くん?」
「可愛すぎるねん……」

顔を赤くして、視線を逸らす彼の姿に彼女の顔も赤くなっていく。彼女は、これ以上彼の顔を見ていられなくなり思い切り手を引いて、屋台の並ぶ道へと強引に足を進めた。



今日はお財布出しちゃあかんからね、と言われてしまった。
彼女は何度も財布を出そうとしたのだが、隠岐が頑なに首を振るので三回目の会計の時点で折れてしまった。
彼の持つりんご飴は、他のどれよりもキラキラしているように見える。大きくて赤い林檎は、普段赤色の隊服を身に纏う彼にはぴったりだった。

「隠岐くんりんご飴似合うね」
「り、りんご飴が似合う……?」
「あ、赤が似合うなって思ってね」
「そんなんおれよりも何倍も似合ってるで?」

大きなりんご飴と並んでも、小さく見える彼女の顔。瞳を輝かせながら赤くて艶やかなりんご飴を見つめるその姿は、幼子のようであった。先程の大人びた表情が嘘のようである。
隠岐は浴衣の裾から覗く左手を掴み、そっと指を絡めた。夏の暑さのせいか、それとも。赤くなった彼女の顔が彼を見上げる。彼に応えるよう、遠慮がちに強く握り返される手のひらの感触。触れ合った肌から共鳴するように、響く心拍は彼のものなのか、彼女のものなのか分からない。非日常的な空間に呑み込まれて、頭がクラクラてしまいそうだ。

「隠岐くん」

彼女に名前を呼ばれ、ぼんやりとしていた頭が冴える。隣に座る彼女の顔を覗き込むように答えれば、ちゅっと可愛らしい音が聞こえた。

「す、隙あり〜やで……なんちゃって」

そんな似非関西弁、可愛すぎるやろ。どこでそんな可愛ええ小技を覚えてきはったん?

先程よりも増した心拍数に、隠岐は堪えるようにグッと手のひらに力を込めた。何も言わない彼をチラチラと何度も横目で確認する彼女。彼は、彼女の頬をむにゅっと掴んだ。

「あかん、ダメ。かわいい、今日めっちゃ可愛いな」
「お、隠岐くんイコさんみたい……」
「おれはイコさんみたいに女の子みんなに可愛いとか言いふらしたりせんもん」

むにむにと彼女の頬を触り続ける。そして、流れるようにそのまま唇を合わせた。

「隙ありやで」
「や、やられた…………」

彼は既にりんご飴よりも赤くて、甘い彼女に病みつきになってしまっているのだった。

flavoring