イングリットと支援A

 シルヴァンとナマエが二人きりで喋ることがなくなって二週間も経つと、近しい人間はその違和感に潔く気づいた。
 三人以上で話している時は普段と変わらないのだが、二人でいる姿は一瞬たりとも見ない。
 以前は婚約がバレないようにしているとは言え、幼馴染という立ち位置で話していたのに。
 ────というのは二人をよく知る幼馴染の意見である。

「ナマエ、ちょっと訊きたいのだけど」

 幼馴染の内、唯一同性であるイングリットがナマエの部屋を訪れたのは夕飯を済ませてすぐのことだった。
 予想しない来客ではあったものの、気心知れた友人の訪問にナマエは喜んで扉を開けた。
 お気に入りのお茶をいれ、二人で椅子に腰をかけたところでイングリットがやや申し訳なさそうに切り出した。

「シルヴァンと喧嘩でもしたの?」

 終始笑顔だったナマエの表情が固まる。
 若干イングリットがその話題に触れてくることは想定していたものの、こんなに早く、しかも直球で訊いてくるとは。

「……わかる?」

 ナマエの返事はほとんど肯定だった。
 イングリットが困ったように眉を下げて、縦に首を下ろす。

「わかるわよ。明らかに避けてるじゃない」
「ですよねー……」

 呻るナマエが口を尖らせた。
 避けたくて避けてるわけじゃない。むしろこっちは自分の気持ちを潔く気づいて認めて伝えたのだ。
 それを拒絶し、突き放したのは向こうだ。

「それに、最近訓練に身が入っていないってフェリクスが言ってたわ」
「うっ。その点に関しては反論の余地もない」

 自分では切り替えているつもりだった。
 けれど、まあ、その、フェリクス相手だとどうしても気が緩むというか、赤髪の彼を思い出すというか。

「他にも、あまり食べていなかったり、ぼうっとしてたり……殿下も心配してたわよ?」

 思っていたよりも話は広がっているらしい。
 ナマエは頭を抱えた。

「で、殿下もかあ……」

 ということはドゥドゥーも何かしら察しているはずだ。彼に直接婚約の件を話したことはないが、おそらくなんとなく気がついている。

「あなた達がもともと一線引いてたのは知っているけれど、この間の課題の後からなんだか空気が殺伐としているし……。先生も首を傾げていたわ」
「先生も!?」
「シルヴァンはともかく、ナマエあなた結構顔に出てるのよ」

 イングリットが再び眉を下げた。
 十数年生きてきて知り得なかった事実に、ナマエは自分の顔に手を当て呻いている。

「……た、例えば、シルヴァンが他の女の子にちょっかいをかけてるとき、私、」

 以前ディミトリに言われたことをおそるおそるイングリットに訊く。
 あのときは、殿下はよく人を見てるんだなあくらいにしか思わなかったが。

「怒ってたり、呆れてたり……総じて寂しそうではあったけれど」
「……それ、そんなにわかりやすい?」

 淡い期待を込めて首を傾げるも、イングリットは悩む間もなくそれを一蹴した。

「ええ、とても」

 ナマエは今度こそ穴があったら埋まりたいと両手で顔を覆った。
 はみ出た耳は赤い。

「でも、それがシルヴァンに対してなのか、婚約者に対してなのかはわからなかったわ」
「ど、どういうことでしょう」

 羞恥の隙間からイングリットを窺う。
 指越しに見ても美人なんてずるい。

「ええと、なんて言えばいいのかしら、私も恋愛方面は得意ではないから……」

 言葉を探して視線を泳がせたイングリットにナマエはそっと目を覆う手を外した。

「婚約者の不貞を悲しんでいるのか、シルヴァンが女の人に声をかけていることを悲しんでいるのか……」

 選び選び告げられた台詞の意味は深く考えずとも理解できた。

「うん……多分どっちもなんだよね」

 応えるように出した声は自分で思っていたより沈んでいる。
 イングリットが優しい瞳でナマエを見た。

「そんな顔してるなんて自分では知らなかったんだけどね」

 ディミトリに言われたときはピンと来なかったが、気持ちを自覚した今ならわかる。

「両方、あったと思う」

 婚約者は自分なのに、という気持ちも。
 シルヴァンにこちらを見てほしい、という気持ちも両方。

「ナマエ……」

 落とした視線の先にある手をイングリットが柔らかく握った。
 その優しさと温かさは、先日シルヴァンに手首を掴まれたときと比べ物にならない。
 改めて手荒く扱われたことを知り、胸の奥が軋んだ。

「気づくのが遅かったかな」

 笑顔を作ったつもりだったが、酷く歪んだ。
 イングリットはナマエの手を包んだまま、静かに首を横に振る。

「遅くないわ。だってまだ生きてるじゃない」

 真っ直ぐ見つめた緑の瞳が、ちょっとしたきっかけでこぼれ落ちそうなくらい揺れた。

「私、あなた達に幸せになってほしい」

 ────それは私の台詞だよ。
 憧れだった。羨ましかった。
 傍目から見てもお互いを大切に思ってるのが痛いほど伝わる二人が。
 小さな嫉妬心を芽生えさせるくらい、ずるくて綺麗で羨ましかったのだ。

「イングリットも幸せになってほしいよ」

 ナマエの言葉に微笑みを返すイングリットは息を呑むほど美しい。
 重ねられた手は自分のものと比べ物にならないくらい白くて細くて、でも訓練しているのがわかる手だ。
 ────綺麗なんかじゃない。
 シルヴァンに告げた台詞が自分をえぐる。
 イングリットのように綺麗だったら良かったんだろうか。見た目も、心も。

「ナマエ、泣かないで」

 言われて初めて自分の頬が濡れていることに気がついた。
 いつも自分より先に他の人が自分のことに気づく、とナマエは少し可笑しく思った。

「私ね、シルヴァンのことが多分ずっと前から好きなんだ」

 イングリットは何も言わずに頷いた。
 少し握る手に力が入ったのは、ナマエだ。

「でもね、二回も拒絶されて、立ち向かっていけるほど強くないみたい」

 今日は笑顔がうまく決まらない。
 ぽろぽろと止まらない涙をイングリットが指でそっと拭った。

「大丈夫よ。……殿下たちがけしかけてくれるから」

 優しい指を受け入れて、もういっそのことイングリットと結婚したい────とナマエの目が丸くなる。

「けしかけ……?うん?」
「あなた達が気まずいと私たちも気まずいの」

 だから、大丈夫。
 何がなんだかわからないが、力強く頷いたイングリットにナマエは首を傾げることしかできなかった。