シルヴァンと支援B
思っていたよりもずっとあっさりした終わり方だった、とナマエは帰寮後のぼんやりした頭で考えていた。もちろん無傷ではないし、予想外の展開もあったが、────拍子抜けしたというか。
結局マイクランを討ったのはベレスだった。
フェリクスでも、自分でも、シルヴァンでもない人が終わらせたからだろうか。
心は落ち着いているのに、体はまだ動き足りないと訴えている。
「……散歩でもするかな」
一人静かに呟いて、重たくも軽くもないドアを押し開けた。
外の空気は夜にもかかわらず生温い。
涼しい風が頬を撫で、髪をさらう。翠雨の節が終わり、角弓の節が始まるのを改めて感じさせるような風だった。
部屋を出たはいいものの、どこへ行こうか決めていなかったナマエは、とりあえず人のいなさそうな中庭へ進むことにした。
夜のガルグ=マクは静かで暗い。
あまり夜に出歩くものじゃないな、と思いつつ周りを見渡していると、見知った色が視界の端に映った。
「……?」
どこかで引っかけてきた女性といるかと思ったが、彼はどうやら一人のようだ。
話しかけるか、素知らぬ顔して通り過ぎるか悩んでいるナマエの視線にシルヴァンは気づいたらしい。
「……ナマエか」
いつもより数段低い声が静かな夜に響く。
「うん」
シルヴァンを見つけて立ち止まったのは間違いだったかもしれない。
ナマエは数秒前の行動を後悔しつつ、そっとシルヴァンへ歩みを進めた。
「何してんだよ」
「散歩……」
暗がりでも表情が読み取れるくらいの距離までくると、シルヴァンが怪訝な顔で訊いた。
そういうそっちこそ何してるの、とナマエが意識して柔らかく返す。
ナマエの問いにシルヴァンは答えなかった。
「……終わったんだな」
代わりに告げた言葉が酷く静謐で、何故か背筋が震えた。
何か言わなきゃいけないのに、小さな脳みそでは何も思いつけない。もっと本とか読めば良かった。
場違いな感想を抱いたナマエを、シルヴァンのカフェラテのような色をした瞳が捉える。
「なあ、最近カスパルと仲良いんだって?」
まったく脈絡のない質問に、ナマエが驚いて目を丸くした。
「あ、うん、訓練場でよく会うから……」
何故急にカスパルの名前が?
不思議に思いながら答えると、シルヴァンの目が影を落として細くなった。
「シルヴァン?」
自然と見上げる形になったナマエは、首を傾げて様子を窺う。
なぜかさっきよりも風を冷たく感じた。
「……ああ、カスパルの家も大きいもんな」
形の良い唇から紡がれた声はなんの感情も込められていない。それとは裏腹に侮蔑と憎悪を混ぜたような色がシルヴァンの瞳に浮かぶ。
言葉の意味を理解しようと噛み砕いて、ナマエの顔が強張った。
「乗り換えるのか。より良い条件に」
心底軽蔑したような表情が固まったままのナマエを見下ろす。
────違う。
やっとの思いで開いた口から出そうとした言葉は渇いて音にならない。
「アドラステア帝国の六大貴族に嫁げば家は安泰ってわけか。カスパルは嫡子でも紋章持ちでもないが……まあ金はあるだろうな」
「シルヴァン」
震える声で諫める。
シルヴァンは表情を変えないまま、腹の底に燻っていた熱を吐き出した。
「何か間違えたか?間違ってないだろ。俺との婚約だって金と紋章が目当てなんだからな」
その言葉がナマエの琴線に触れた。
────そんなわけないでしょうが!
蔑みの視線を払い除けて、勢いよくシルヴァンの胸ぐらを掴む。
面食らった赤髪が視界の端で揺れた。
「馬鹿にしないで」
怒りと悲しみと情けなさと、ごたついた感情全てが声に乗る。
震えないよう腹筋に力を入れて、上にある二つの瞳を見据えた。
「私がカスパルと仲良くしてるのは、貴族とか紋章とか関係ない。訓練仲間として気が合ったから、仲良くなりたいと思ったからだよ」
勢いに押されたシルヴァンが何か言おうと口を開いたのを、ナマエは許さず続けた。
「シルヴァンのことだってそうだよ。紋章とか貴族とかで見たって、士官学校にはもっと良い条件の人がいるけど」
いつかイングリットに訊かれたことの答えが今ようやく出た。
「浮気なんてせず私のことだけを見てくれる人だっているかもしれない、けど」
────なんだかんだで、私は、このどうしようもない人が欲しいのだ。
紋章も貴族も何も無くていい。
「シルヴァンだから、私は婚約してるんだよ」
静かな夜に心臓の音だけが響く。もしかしたらシルヴァンにも聞こえてるんじゃないか。
大きく強く鳴る鼓動は心地いいとは言えず、胸ぐらを掴む手は震えた。
「……ナマエはいつもそうだよな」
落ち着いているのに重たい感情が混じる声が静寂を引き裂く。
ナマエの倍近くある掌が細い手首を覆った。
苦痛、羨望、憎悪、嫉妬。
いつかマイクランがシルヴァンに向けていたものと同じ。
「綺麗でいようとする」
ナマエの手首を握る掌に力が込められた。
痛い、と思わず漏らした声はシルヴァンに届いていないらしい。力が弱くなる気配は一切なかった。
「私、そんなに綺麗じゃない」
「……綺麗だよ。妬ましいくらいな」
空いていた片手がナマエの顎を掴む。
強制的に視線を合わされ、シルヴァンの暗い瞳が自分を映した。
「綺麗でいようとするお前を見ると、腹が立って苛ついてしょうがないんだ」
怯えるように眉を下げたナマエは痛々しいほど小さく見える。
にも関わらずシルヴァンの手を払うことも、逃げることもしないのが余計苛つくのだ。
「この手で酷く汚してやりたくなる」
愛の言葉を囁くかのように顔を近づけたシルヴァンがそう吐き捨てた。
手首も顎も心臓の奥も痛い。
ナマエの顔が歪んだのを機に、ようやくシルヴァンはナマエを解放した。
「俺からは婚約破棄をしない。結婚したら金だってやる」
手首には痛々しい鬱血痕が残っている。
一瞥したシルヴァンがにこりともせず冷たく言い放った。
「だから、これ以上俺に関わらないでくれ」
向けられた背は今までで一番遠い。