シルヴァンと支援B+

「なあ、ナマエ」

 二週間以上ぶりにシルヴァンから声をかけられて、ナマエは驚きのあまり手に持っていたスプーンを滑らせた。

「ちょっと話したいんだけど、いいか」

 落ちたスプーンが甲高い音を響かせる。
 そんな音など耳に入っていない二人の間に流れるのは気まずい空気だ。

「い、いいですけど……」

 そちらこそいいんですか。というのはなんとなく飲み込んでおいた。
 短くお礼を言ったシルヴァンがナマエの隣の椅子を引く。迷いもせずそこに腰をかけたことにナマエは心底驚いた。

「どうしたの、シルヴァン」

 こんなことは士官学校に入って以来一度も無かった。
 イングリットやフェリクス、はたまたベレスと三人だったり四人だったりするときは、流れで隣に座ることもあったが。
 一人で食事をとっているナマエの隣に自ら進んでくるなんてことは、一回もなかった。

「ここで話してもいいんだが……まあ、ゆっくり食えよ」

 無理だ。
 つい二週間前、自分に腹が立つし苛つくし汚してやりたい、と言った人が横にいる状況で呑気に食べるなんて無理だ。
 引きつったナマエの顔をシルヴァンは曖昧な表情で見ている。

「なんだよ。……ああ、スプーン」

 さっき落としたスプーンの存在はすっかり頭から抜け落ちていた。
 座ったまま屈んでそれを拾ったシルヴァンがカウンターの方を指で示す。

「替えてくる」
「えっ」

 返答も聞かずに歩き出したシルヴァンに、もはや疑念しか抱けない。
 なんだ一体。また何かやらかしたのか。
 自分の行動を思い返してみたが、これといってシルヴァンに繋がるものは無い。

「こわ……」

 この後何を言われるのか想像もできないが、背中を走る悪寒にナマエは身震いした。




 結局、ナマエが皿を空にするまでの十分間シルヴァンは隣にいた。
 こんなに味のしない食事は久しぶりだ、と涙目になるナマエを促して移動した先はシルヴァンの部屋である。
 二階の隅にある部屋は、まだ正午過ぎということも相まって人通りがほとんどない。

「お邪魔します……」

 ナマエがシルヴァンの部屋に入るのはこれが初めてだった。
 好きな人の部屋なんて、これ以上ないドキドキスポットのはずなのに。
 恐怖に震えるナマエの心臓はまったくそんなことを意識していないようだ。

「遠くないか?」

 ベッドに腰をかけたシルヴァンと、入口から動きもしないナマエの距離は確かに遠い。
 困り顔で笑ったシルヴァンが手招きした。

「……何もしない?」

 警戒心たっぷりに訊いたナマエにシルヴァンは両手を挙げて「何もしない」と断言。

「ほんとにほんと?」
「しないって……お前、俺のことなんだと思ってるんだよ」
「ベッドに転がして鼻強打させたり、槍で刺したり、首絞めたりしない?」
「ああ、そっち……。いや、しねえよ!?」

 したことないよな?と詰め寄ったシルヴァンをナマエは「最初のはされたことあるけど」と切った。

「いやそれは不慮の事故だろ……。何もしないから、頼む。こっちに来てくれ」

 懇願されて揺らいだ。
 なんだかんだで自分がシルヴァンに甘いのはわかっている。それはシルヴァンも気付いているはずだ。
 ここで踏ん張れたら楽なのに。
 根負けしたナマエはせめてもの抵抗として唇を噛み、やや距離を開けてシルヴァンの隣に腰を落ち着かせた。
 嬉しそうな、安心したような表情になったシルヴァンに胸の奥がざわつく。

「話ってなんでしょう」
 
 声は意識せず硬くなった。
 真っ直ぐシルヴァンの顔を見れず、膝の上で握った拳に視線が落ちる。
 同じようにシルヴァンがぎゅっと手を握ったのが視界の端に見えた。

「ナマエ」

 低い声が近くで聞こえる。
 聞きたいような、聞きたくないような、どっちつかずの感情に思わず目を瞑った。

「ごめん」

 降ってきたのは謝罪だ。
 ────それは、何に対して。
 心臓はうるさいくらい鳴り、噛みしめた唇は痛い。
 婚約解消の文字が頭をぐるぐる回っていく。
 続いたシルヴァンの声はやや苦しげだった。

「ほんと謝って済むとは思えないくらい、ひどいことを言った」

 あまりにもシルヴァンが辛そうに紡ぐので、ナマエは閉じていた目蓋を開けて彼を見た。
 声と違わず、綺麗な顔を歪ませたシルヴァンは自責の念に駆られているようだ。
 ナマエ以上に強く握られた拳を見ていられなくて、思わずそこに触れる。

「……ナマエは打算なしに、こういうことをするからなあ」

 一瞬驚いたようにナマエを一瞥したのち、優しく瞳が細まった。
 真っ正面からそれを受け止めたことで一気に顔へ熱が集まる。
 指を解いたシルヴァンは、ナマエの手を包むように、もどかしいほどそっと触れた。

「ナマエ、ごめん」

 再び謝罪を入れられ、首を横に振る。
 そんなに何回も謝らないで欲しい。

「私がもっと、ちゃんと、綺麗だったら良かったんだよね」

 イングリットのように高潔でいれたら、きっとシルヴァンはあんな言葉を吐かずに済んだ。
 中途半端に紋章なんて気にしてない、貴族なんて関係無いなんてほざいて。

「シルヴァンが私と結婚してくれたら、私の家が助かるのは事実だもん。そんな前提があるくせに、紋章なんか貴族なんかどうでもいいなんて、説得力のかけらもないよね」

 自分だって言われたら疑う。
 どの口が、と詰りたくなる。

「もし、私がちゃんとした貴族で紋章も持っていたら、シルヴァンだって苦しまなかったよ。ごめんね」

 情けなくて顔を見ていられず俯く。
 ほんの僅かにシルヴァンの手に力が入った。

「違う。ナマエ、それは違う」

 強い否定に体が強張る。
 握る手の力も強くなったが、以前手首を掴まれた時よりずっと優しい。

「ナマエはそのままでいい。紋章なんて無いままでいいんだ」

 ────お前が同じような目で見られるのは堪えられない。
 唸るように吐き出された言葉が熱い。
 でも、握られた手はもっと熱い。

「俺は金のある家の嫡子で紋章もある。でも、お前は俺に持ってないものを持ってる。それが眩しくて逃げ出したんだ」

 真っ直ぐ見つめられるのに慣れていないナマエがそっと視線を外した。
 まぶしいのはこっちの方だ。

「わたし、まぶしいかなあ」

 シルヴァンの隣に並んでいたら絶対霞む。
 それなのにシルヴァンは逃げ出すくらいまぶしい、と言った。
 あまりその意味を理解できなかったナマエが首を傾げると、シルヴァンは本当に眩しそうに瞳を細めた。

「まぶしいよ。すごく」

 そんな顔されて、浮かれないほどナマエは屈折していない。

「私、シルヴァンの婚約者でいていいの?」

 熱を持った頬が素直に緩む。
 それを見たシルヴァンも同じように穏やかな微笑みを浮かべた。

「当たり前だ。むしろ、俺の方が愛想尽かされないか心配なくらいだっての」
「大丈夫。私からは絶対解消しないもん」

 ────何気に結構な殺し文句だぞソレ。
 完全な不意打ちに上がる口角と心拍数はなんとか抑えた。
 ナマエはこの状況にいっぱいいっぱいでそんな心情のシルヴァンなど知る由もない。

「そりゃあ良かった。……俺だってしない」

 これ以上ないくらい幸せそうな笑顔のナマエの頬をシルヴァンがなぞった。
 半強制的に合わせられた視線は、前回と打って変わって、優しくて穏やかで熱い。

「お前が良いんだ。ナマエ。結婚するならお前が良い」

 わたしも、とナマエの唇がゆっくり動いた。