星辰の節、21の日
「へえ、なかなか上達したじゃないか」「良い先生に指導してもらったからね!」
クロードに褒められて得意げに胸を張ったナマエはたしかな手応えを感じていた。
フェリクスからの容赦ない指導のおかげか、当初よりずっと上達した踊りは、上手いとは言い難いが以前までの硬さは無い。
「と、いうか。クロードもそんなに踊り得意じゃないね?」
弱みを見つけた、とナマエがにやける。
ここ数日フェリクスと踊っていたからわかるが、クロードもそこまで踊りが上手いというわけではない。
「おっと、ご明察。上品な踊りってのは得意じゃなくてね。ちゃんと教えてもらったことだってあるのかないのか」
おどけるように肩をすくめたクロードにナマエは得意げな顔で詰め寄る。
「へーえ?教えてあげようかー?」
「いや?ナマエに教えてもらうほど下手じゃないだろ?」
否定出来ずナマエが黙った。
ちょっと弱みを見つけたと思っても、クロードに勝てる未来は見えないから腹が立つ。
「いいもん。あと四日でめちゃくちゃ上手くなってやるからいいもん」
口を尖らせて顔を逸らしたナマエへクロードは感心したように頷いた。
「そりゃあ楽しみだ。舞踏会に誘ってこんなに努力してくれるなんて男冥利に尽きるね」
思ってもないことを。
もはや怒る気にもならないクロードの軽口は鼻を鳴らして聞き流す。
ほとんど毎日のようにクロードと過ごしているので距離感はなんとなく掴んだ。
「さて。今日はもう帰るか?」
「そーだね、暗くなったし」
星辰の節は日が沈むのが早い。
すっかり暗くなり星が光り出した空を見て、ナマエは頷いた。
「よう、かわいいお嬢さん。こんな時間まで何してたんだ?」
口調はふざけているが、目は笑っていない。
自室の扉を塞ぐように立っている男を見てナマエは口元が引きつるのを感じた。
「話があるんだが……、いいよな」
暗に部屋に入れろと言っている。
断れるような雰囲気ではないのを察したナマエは引きつった頬のまま了解の意を示した。
その様子にひとまず満足したのか、シルヴァンはすんなり扉の前から退く。
溢れそうになるため息を堪えて、ナマエはそっと自室の扉を引いた。
「……どうぞ」
まず自分が入ってからシルヴァンを促す。
ああ、と短い返事はやけに低くて、シルヴァンの機嫌の悪さを物語っていた。
相も変わらず遠慮なく寝台に腰をかけたシルヴァンは、立ったままのナマエを見てゆっくり口を開く。
「さて」
空気が締まった。
思わず一歩下がろうとしたナマエの腕をシルヴァンが掴んで阻止する。
「最近クロードと何やってるんだ?」
真っ直ぐにぶつけられた視線は隠そうともしない苛立ちが混ざっていて、背筋が震えた。
「何、って」
言うか悩んで口籠るナマエを、シルヴァンは力一杯引っ張った。
当然のようにバランスを崩したナマエの体はシルヴァンによって受け止められ、背中にその手がまわる。
前回のように鼻を寝台に強打しなかったことに安堵しつつ、抱きしめられるような姿勢に動揺する。
「……シルヴァン?」
恐る恐る名前を呼ぶと、抱きしめる腕に力が入った。
「どうしたの、シルヴァ────」
うんともすんとも言わないシルヴァンを不思議に思い、再び問いかけた声が途切れる。
ひゅっと息を飲むような音を出した喉の横、首筋にシルヴァンが噛み付いたのだ。
反射的に引いた腰は腕が回っていて逃げられない。肩を押す手も上手く力を入れられず、シルヴァンを受け入れる他なかった。
「ちょ、シル、シルヴァン」
辛うじて出る声で非難の色を示すも、シルヴァンは聞こうとしない。
噛み付いたそこをなぞるように舌が這い、思い切り荒く吸われる。
突然の刺激に意図せず体が跳ねた。
追いつかない思考をなんとかまとめようとするも、何度も何度も唇が首に触れ、考える余裕は生まれない。
ナマエがぎゅっと目を閉じて堪える姿勢に入った十数秒後、シルヴァンはようやく首筋から顔を離した。
「……俺にも言えないのか」
呟かれた声は酷く寂しい。
緩んだ腕から抜け出し、シルヴァンの隣に腰を落ち着かせる。
────クロードに口止めされているし、そもそもの原因はシルヴァンが舞踏会に誘ってくれないことにあるけど。
そんな顔をさせたいわけじゃない。
まあ、その、ちょっとは誘わなかったことを後悔しろとか、思ったりもしたが。
「踊りの練習をしてるだけだよ」
結局、シルヴァンに一番甘いのだ。
流されることも多いし、頼まれれば断るのは苦手だけど、それ以上に。
そっとシルヴァンの手に自分の手を重ねる。
「フェリクスにも頼んでるんだろ」
そこまで知ってるのか。
ナマエが一瞬顔を強張らせた。
「よ、よく知ってるね……」
「聞いたからな。フェリクスから」
「そっか……」
フェリクスにも詳しいことは伝えてないので大丈夫だろう。
小さく頷いたナマエをシルヴァンは見逃さなかった。
「クロードと何を企んでるんだ」
再び真っ直ぐ視線が絡む。
怯んだナマエを無視してシルヴァンが言葉を続けた。
「ナマエが自分からクロードを誘って練習するとは思えない」
隠していることを教えろ、と言わんばりの強い眼光にナマエがたじろぐ。
「ナマエ」
静かな、それでいて怒りを秘めた声がナマエの名を呼んだ。
シルヴァンはナマエが押しに弱いことも、さらに言えば自分に甘いことも知っている。
しばらく葛藤していたナマエだったが潔く敗北を認めたらしい。両手を小さく挙げて降参の姿勢をとった。
「ひょんなことからクロードと舞踏会で踊ることになってしまったので、その練習です」
「は?」
ナマエの暴露にシルヴァンが眉を顰める。
「だからその、最初の一曲をクロードと踊ることになって」
「は?」
到底理解及ばんといった顔でナマエを凝視したシルヴァンとの間に微妙な沈黙が流れた。
言えることは言ったし、これ以上なにを語ればいいんだ、と思わず手元に視線を落とす。
「……クロードの方が良くなったのか」
沈黙を破ったのはシルヴァンだった。
唸るような低い声が部屋に響く。
「なに言って……」
なんでそうなるの、とナマエが顔を上げた。
酷く痛い顔をしたシルヴァンと目が合う。
今にも泣いてしまいそうな、怒っているような、傷ついてるような顔だ。
言葉途中で口を噤んだナマエの代わりにシルヴァンが投げやりに続ける。
「そういうことだろ。婚約者を差し置いて他の奴の誘いに乗るってことは」
ナマエの掌の下にあるシルヴァンの手が敷布を握りしめた。
────何を。
「誘いもしなかったくせに」
自分でも驚くくらい冷たい声が出た。
再三言うが、そもそもクロードと踊ることになった発端はシルヴァンが誘ってくれなかったことにある。
それを、どうして責められるんだ。
「誘うも何も、普通踊るだろ」
ぴしゃりと撥ね付けられてナマエの眉間にしわが寄った。
重ねていた手を外し、距離を置くように寝台から立ち上がる。
「そんなの言ってくれなきゃわかんないよ」
「言わずとも察しろよ。俺たち婚約者で、恋仲だろ?踊らない理由がどこにあるんだ」
呆れとも怒りとも取れる語気にナマエは唇を噛んだ。
言いたいことはわかる。わかるけれど。
「シルヴァンはいっつもいっつも、言葉が足りな過ぎる」
本当に女慣れしてるのか。あんなにたくさんの女をひっかけていたくせに言葉が足りないってどういうことなんだ。
悔しいやら腹が立つやらで爪が白くなるほど拳を握る。
反論しようとしてか唇を動かしたシルヴァンに口を挟む隙を与えないよう、ナマエは間髪入れずに言い捨てた。
「誘われるの待ってたのに」
今夜はイングリットの部屋で寝るから。
そう吐いてナマエは自室から出て行く。
「言ってくれなきゃわかんないことだってたくさんあるんだよ」
首筋にうっすら残る熱と、赤い跡には気付かないふりをした。