星辰の節、25の日
「おいおい、そんな暗い顔で踊るのは勘弁してくれよ」星辰の節、25の日。
結局あのあと会話をする機会もなければ、仲直りする機会もなく舞踏会当日を迎えた。
「そんなに暗い……?」
首を傾げて訊いたナマエにクロードは一も二もなく頷いた。
「マリアンヌもびっくりな暗さだな。せっかく化粧して綺麗になってるのが台無しだ」
相変わらず軽口を叩くばかりのクロードにため息が溢れる。
どうせならその台詞はシルヴァンから聞きたかった、というのはちょっと乙女すぎるか。
あんなことで喧嘩するくらいだったら自分から誘えば良かった、なんていう後悔はこの一節で散々した。
詰まるところ、言葉足らずのシルヴァンも悪いが、意地を張り続けた自分も悪い。
「素直になれば良かった……」
再び吐き出したため息と共につぶやいた言葉にクロードが神妙な顔で口を開いた。
「確かに表情だったり動作だったりは素直だが、言葉は素直じゃないことも多いからなあ」
「うるさいな」
人が今一番気にしてることを。軽く睨むとクロードは笑って両手を小さく挙げた。
「ま、とにかく行こうぜ。今日の主役はあんたなんだからさ」
「いやいや、クロード達級長が主役でしょ」
お手をどうぞ、と恭しく差し出された掌に肩を竦めつつ応える。
「いいや。あんたが主役だ。会場中の視線を集めて、沸かすのはナマエだよ」
何かを企むように唇が半円を描いた。
一方のナマエはいまいち意味を掴めていないのか不思議そうにクロードを見ている。
「さ、行こう。あんたと俺で会場を驚きに包んでやろうぜ」
「では皆さんお待ちかねでしょう。大舞踏会の幕開けにございます!」
アロイスのその一声で楽団が演奏を始めた。
拍手の中、会場中央へ足を進めるのは級長三人とそのパートナーである。
それぞれの級長が誰を選んだのか、という視線を一身に受けることになったのはナマエだ。
ディミトリとエーデルガルトの相手が想定内の選出であったため余計にそれを煽ったのだ。
「ねえ、クロードくんと踊ってるのシルヴァンくんの婚約者の子じゃない?」
「え?ほんとだ……」
「どういうこと?」
密やかに囁かれる声が会場に広がる。
ディミトリやイングリットも驚いたような顔でナマエを見たが、踊りを中断するわけにもいかず何か言いたげな視線を投げるに留まった。
鷲獅子戦後の宴の際も視線を集めたことはあるナマエだが、さすがに今回は訳が違う。
品定めするような、気持ちいいとは言えない視線が刺さり、ナマエの体に力が入った。
「前向け、大丈夫だ。あんだけ練習したんだから目に物見せてやろうじゃないか」
ナマエだけに聞こえる音量で励まされ、先導する手は自信を持てと促してくる。
言われるまま視線をあげたナマエは何かを決意するように小さく息を吐いた。
大丈夫。クロードの言葉を反芻し、頷く。
あんなに練習したんだ。
「いい顔になったな」
「そう?」
「ああ」
長い言葉はいらない。
流れる音楽に合わせて足を動かすと、自然と体がついてきた。
思っていたよりも余裕がある。
クロードを見ると、珍しく穏やかな笑みをたたえていて、その柔らかい表情に思わずナマエの口角も上がった。
雑音はもう聞こえない。
一瞬視界の端に掠った赤も今ばかりは見えない振りをした。
級長達による一曲が終わるとそのまま二曲目、三曲目と続く。
それまで傍観するだけだった他の生徒達が一斉に広間に出て、踊り始めるのだ。
ナマエとクロードは一曲目が終わってすぐに一度脇へ捌けた。
興奮冷めやらぬ、と言った具合に頬を紅潮させたナマエがクロードに向き直り、笑顔とも真顔とも取れない顔で口を開く。
「楽しかった」
踊ることはもちろんのこと、浴びていた視線の色を変えることが、こんなに楽しいなんて。
「そうだろ?いい気分だよな、人の見る目を変えるっていうのは」
クロードがまたいつもの読めない笑顔でナマエに頷いた。
────楽しかった。気持ちよかった。
蔑むような、好奇にあふれた視線を覆して、羨望させ、夢中にさせるのが。
だけど。
「たしかにめちゃくちゃ気持ちよかったけど、これっきりでいいかな」
ほう、とクロードが自身の顎に手を置いて聞く姿勢になった。
「私みたいな一般人にはちょっと荷が重いよ」
羨望も嫉妬も期待も。
大勢から向けられるのはきつい。
ナマエの吐露にクロードは満足そうに笑って、「そうか」と肯定した。
「ま、当初の目的は達成した訳だし────お嬢さん、後ろを振り返ってどうぞ?」
おどけるように手で背後を指し示され、ナマエは首を傾げる。
何か後ろにあるのか、と何の気なしに振り返って固まった。
「シ、ル……ヴァン……」
引きっつった喉から出た言葉は拙い。
お祭り騒ぎのこの場に全くもって馴染まない顔つきのシルヴァンがそこに立っている。
厳密に言えば口角は上がっているので笑顔に見えなくもない、が。
これを笑顔と呼べるほどナマエは図太い神経を持ち合わせていなかった。
「おいおい、ここで殺し合いでもするのか?」
「クロード」
軽口を叩くクロードをシルヴァンが遮った。
「ナマエが世話になったな」
氷点下の笑みを浮かべたシルヴァンにクロードは相変わらず読めない笑顔のままだ。
気まずい空気に辟易したナマエは、そっと逃げ出そうと画策を始めたが、シルヴァンがそれを許すはずもない。
「ナマエ」
低い声で呼ばれて萎縮した。
何を言おうか悩んでいるナマエの腕はシルヴァンによって捕らえられ、そのまま引きずるような形で連れていかれる。
舞踏会は各々で盛り上がっており、ナマエがシルヴァンに連れられているのを見ていたのはクロードだけだ。
「ナマエが絡むとわかりやすいもんだな」
ナマエとシルヴァンの背中を見ながらクロードは小さく口笛を吹いた。
人のいない場所、で思い当たったのが女神の塔だったらしい。
まだ舞踏会も始まったばかりの時間にここへ来る人は誰もおらず、シルヴァンとナマエは無言のまま塔に登った。
いたたまれない空気に堪えかねたナマエがどうしようかと口を開け閉めしていると、掴まれていた腕から指が滑り、その下にある手を絡めとる。
「言葉が足りないっていうならいくらでも言ってやる」
シルヴァンの瞳がナマエを見た。
久しぶりに真っ直ぐな視線を受けて体中が熱くなる。踊り終えた後よりも、ずっと熱い。
「好きだ。愛してる。……余裕も何もなくなるくらい、どうしていいかわからないくらい好きなんだ。ナマエ」
握る手に力が込められた。
たしかに言葉が足りないと言ったが、こんな熱烈な愛を告げられるとは思っていなかった。
ただ、誘って欲しかっただけで、シルヴァンからの愛を疑ったことはない。
「頼むから、他の男に流されないでくれ」
懇願するように吐き出された言葉が刺さる。
それについては、自分でも色々思うことがあるので反論できない。
「……うん。ごめん、もう流されない」
今回の件で学んだことは多く、人に流されてはろくな事にならないというのもその一つだ。
身をもって実感したがゆえに、ナマエは強く頷いた。
「シルヴァン、あのね。私もシルヴァンがとっても好きで、一緒にいたいし、今日だって一番に踊りたかったよ」
自分よりずっと大きな手を握り返す。
「意地張って、ごめんなさい」
素直に謝ると、シルヴァンが眉を下げた。
ナマエの頬を、握っていない方の手が優しく触れる。
「俺の方こそ、ごめんな」
節くれた親指でナマエの目元をなぞるように撫でたシルヴァンの顔がそっと近づいた。
何も言わずともナマエが目を閉じる。
ほとんど一節ぶりに触れた唇は酷く熱い。
「好きだ。ナマエ、本当に。心の底から」
「私も、好きだよ」
もっと早く素直になってればよかった。
唇の上でささやいた言葉をシルヴァンは聞き逃さなかった。
もう一度だけそっと口付けをしたあと、シルヴァンがその場に跪いた。
何事かと目を瞬くナマエの右手を取り、恭しい態度でナマエを見上げる。
「かわいい俺のお嬢さん。一曲お相手いただけますか?」
まるで物語に出てくる騎士のようだ。
甘い声と瞳を一身に受けて、平常心でいられるほどナマエはこう言った事に慣れていない。
一気に紅潮した頬を隠す術はわからず、ほんの少し羞恥が芽生える。それでも、シルヴァンの言葉は嬉しくて。
「喜んで。……何曲でも」
自然とこぼれた笑顔で答えると、シルヴァンがこれ以上ないくらい優しい顔で笑った。
「はは、舞踏会じゃ同じ相手と何度も踊れないもんだぜ」
「ばれないと思うけどなあ」
「……そうだな」
格式高い舞踏会でもあるまいし、とナマエが呟く。
シルヴァンは柔らかい顔のまま頷いた。
「じゃあ、踊りに行こうぜ。クロードに見せつけてやる」
「クロード?」
なんでここでクロードの名前が?
首を傾げたナマエにシルヴァンが不意打ちで唇を落とし、「知らなくていい」と笑う。
再び真っ赤になったナマエをもう一度笑って、二人で大広間へ戻った。
踊りに関してはシルヴァンはさすが大貴族の嫡男というべきか。あんなに必死に練習したナマエの一枚も二枚も上である。
身を預ければ良い具合に先導してくれるので、自分も上手くなった錯覚に陥るほどだ。
────なにもこんなところで格の違いを見せなくても。
と思いつつ、クロードと踊った時よりずっと楽しくて顔は自然と緩む。
それはシルヴァンも同じだった。
どのペアよりも幸せな空気を醸し出す二人を羨望の眼差しで見つめる周囲には気づかず、完全に二人だけの世界である。
夢中で踊る二人は結局、最後まで相手を替えなかった。
後日、クロードとシルヴァンを手玉に取った女と称され、ナマエが必死に誤解を解くのはまた別の話である。