だから隣は歩けない
帝国暦1185年。ガルグ=マク大修道院の陥落から、およそ五年が経過したが、フォドラはいまだ混迷の渦中にあった。同年孤月の節、帝国軍は王都フェルディアへの進行を確実なものとするため、国境の要所に築かれた城塞都市アリアンロッド急襲を決断。
ブレーダッド家に仕える女魔道士コルネリアと、大貴族フラルダリウス家の当主ロドリグらが守りを固めていたが、力及ばずアリアンロッドは帝国軍に攻略されてしまう。
勢いに乗った帝国軍は、王都へ向けて侵攻を開始した。
「フェリクスが、ロドリグ様を」
報告をシルヴァンと共に聞いたナマエが言葉を詰まらせた。
「イングリットは……」
僅かな望みをかけて訊くも、目の前の兵士は悲痛な顔で首を横に振る。
────ああ。
熱くなる目頭から涙がこぼれないよう、慌てて口角を上げた。
うまく笑えている自信はない。それでもここで泣きたくなかった。
「報告、ありがとうございます」
短くお礼を言うと兵士は軽いお辞儀をして部屋を去っていく。
シルヴァンと二人きりの部屋は、やけに広くて静かに感じた。
「……ナマエ」
五年前よりずっと大人びて低くなった声が呼んだが、ナマエはシルヴァンの方を向かない。
向けなかった。
今、シルヴァンの顔を見たら、きっと堪えられず泣いてしまう。
「フェリクス強いねぇ、さすがだねぇ。理学がんばってエピタフになったけど勝てるかなー」
乾いた口で発した言葉は掠れた。
シルヴァンが何も言わずナマエの頭に手を置き、何度かあやすように叩く。
昔から変わらない手の優しさに自然と視線が下がった。
「……シルヴァンは、死なないでね」
「……ナマエこそ死ぬなよ」
うん、と答えたはずの声はなぜか喉が引きつって出なかった。
フェリクスとは歩む道が違ったのだ。
目指すものが合わなかっただけで、戦争がなければ一緒にいれたかもしれないし、自分が彼に寄り添う未来があったかもしれない。
二度と戻らない日々を思い出しては胸が締め付けられるように痛む。
それでも、ここまで来たんだ。
「ナマエ」
「……ドゥドゥー。珍しいねぇ、なーに?」
味のしない食事を頬張っていると、感情の無い音がナマエを呼ぶ。
シルヴァンよりもやや素っ気なくて低い声に振り向けば、表情一つ変えないドゥドゥーが立っていた。
「最近、無理をしているんじゃないのか」
手に持っていた匙をそっと机に置いて、唇の端をゆるく持ち上げる。
「ええ? そんなの殿下やドゥドゥーの方が無理してるじゃんかー」
わざと軽い調子で返すと、ドゥドゥーは静かに首を横に振った。
「俺は、殿下のためなら苦ではない」
「それでドゥドゥーが体壊したら殿下が悲しむんだからねー?」
「……ナマエ、それはお前にも言えることだ」
思わぬ切り返しにナマエが口を止めた。
ぱちりと一つ大きく瞬きをしたナマエにドゥドゥーは真っ直ぐ続ける。
「この五年、ほとんど笑っていないことをシルヴァンや……イングリットが気にしていた」
「そんなこと……え、私笑ってるよね?」
もう一度さっきと同じように唇の端を持ち上げると、ドゥドゥーが「いや」と否定した。
「以前のナマエはもっと……柔らかい笑みをしていた」
「今の笑顔が可愛くないってことですかね」
「違う」
むっとして唇を結んだナマエにドゥドゥーは再び否定を入れた。
「笑顔も減った上に、唇を尖らせなくなった。感情がまるでどこかに消えたみたいだと」
「……それは」
唇を尖らせるとそんな顔になるって言った人がいたから。笑顔の方がいいと言った人がどこかへ行ってしまったから。
────どんな顔をして、どんなふうに笑えばいいかわからなくなってしまった。
「たまに、思う。おまえは帝国についた方が幸せだったのではないか」
いつになく饒舌なドゥドゥーに、ナマエはもう取り繕うことなく情けなく眉を下げる。
「それだけは違うよ、ドゥドゥー。私は私の意志でここにいるから」
もしここにあの人が居てくれたら、と思うことはあるけれど、自分が向こうに行こうとは思わない。
「私も、貴方と一緒に殿下のために戦うことに決めたんだから」
手を伸ばしたら届いたかもしれない背中に手を伸ばさなかったのは、誰でもない自分だ。
たとえ剣を交えることになっても、相容れない道を選んだのは、自分だ。
「そうか」
強い瞳を向けられたドゥドゥーが応えた。