燻る恋の行方

「あれ、殿下? どうしたんです?」

 釣り池を前にして佇むディミトリを不思議に思ったナマエが背後から話しかけた。
 近くにドゥドゥーはいないようだ。

「……ああ、ナマエか」

 振り向いたディミトリの瞳がナマエを映して細められる。
 ナマエは一瞬ぎくりと怯んだが、ディミトリがそれに気づくことはなかった。

「何してるんです? ぼうっとしてるの、珍しいというか……」
「いや、久しぶりに釣りでもしてみようかと悩んでいたんだ」
「小さい頃はたまにやりましたよねぇ。イングリットは魚釣り好きでしたし」

 無論、釣ることよりその後の食べることが好きなんだろうけれど。
 ナマエは当時を思い浮かべて小さく笑った。

「そうだったな」
「ええ……。フェリクスの負けず嫌いが発動したり、シルヴァンが意外な才能を見せたり」
「ナマエの気の短さが明るみになったりな」
「……それは言わないでくださいよ」

 拗ねるような顔をしたナマエにディミトリが吹き出す。

「悪い、思い出したら、おかしく……」
「笑いすぎですよー、殿下」

 ひとしきり笑ったディミトリがようやく落ち着いた頃、ナマエはどこから持ってきたのか、釣り餌を目の前で揺らしてみせた。

「勝負します? 私結構成長しましたよ?」

 挑戦的な視線を受けて、ディミトリの唇の端が持ち上がる。

「いいだろう。後悔するなよ」
「負けませんから」

 袖をまくり上げたナマエが不敵に笑った。


◇ ◇ ◇ ◇


「そういえば、先日ナマエに昔のように接してほしいと言ったが」

 お互いに何匹か釣り上げ、あと一匹先に釣った方の勝ちにするか、という段階になってディミトリが唐突に話題を変えた。
 それまで懐かしい昔話に花を咲かせていたというのに、よりにもよってその話題。
 ナマエは咽せかけたのをなんとか堪えた。

「い、言ってましたねぇ」
「ああ」

 横目で見たディミトリの表情は逆光でうまく読み取れない。落ち着かない。
 そんなナマエを知る由もなく、ディミトリが釣り糸の先を眺めたまま続けた。

「ナマエは変わってないと言っていたが、どうしても距離があるように感じるんだ」

 ────それは。
 ナマエが緩やかに視線を水面に戻す。
 距離を取ってないと言えば嘘になる。
 だって、側にいると心臓痛いし、笑顔はまぶしいし、油断したら余計なことを言ってしまいそうなのだ。
 表には出さないようにしてはいるが、ついさっきも、釣りに誘うのはかなり勇気がいった。

「ナマエ」

 青い瞳がナマエを見た。
 思わずその青に惹かれる。

「何か俺に隠していないか」

 真っ直ぐ視線が絡んだのと同時に、手のひらの釣竿が引っ張られた。

「なーに言ってるんです? 私が殿下に隠し事なんてする訳ないですよ」

 内心を見破られぬよう笑顔を貼り付ける。
 こういうとき参考になるのは素行の悪い年上の幼馴染だ。

「……なんだか、ナマエは年々シルヴァンに似てくるな」

 言い当てられてナマエの頬が強張った。
 ディミトリの目は奥底を探るようにナマエを見ている。

「長年一緒にいれば、多少似るかと」
「そういうものか」
「まあ……って、ああ! 食い逃げされた!」

 半分納得、半分不服な顔を見ないふりしたナマエが大袈裟に叫んだ。
 引きあげた糸の先は針が剥き出しになっていて獲物はかかっていない。
 ディミトリがそれを見て笑った。

「すまん、変な話をしたな」
「いーえ。でもこれで殿下が釣ったら私の負けですね」

 ナマエが不貞腐れたように口を尖らせたのと、ディミトリの持つ竿が揺れたのはほとんど同時だった。
 特に手こずりもせず、至極軽い力で上げた竿の先にはしっかりと魚がぶら下がっている。

「俺の勝ちだな、ナマエ」

 自信たっぷりの笑みに心臓が震えた。
 青い瞳が、その金色の髪が光に当たって輝いて見える────というのはかなり贔屓目だろうか。

「次は負けませんからね」

 悔しさを隠さず告げれば、応えるように桶の中の魚が跳ねた。