「やあ、ナマエ。今日も一人で大聖堂かい?」
「わあシルヴァン、最近暇なの?」
大聖堂へと続く橋の上で声をかけられたナマエは振り返って笑った。
ここ数日飽きもせずナマエに話しかけては玉砕していたシルヴァンである。
今回も例外なく笑顔であしらわれていた。
「暇って、なあ……。君といい加減食事にでも行きたいだけさ」
もう何度目ともつかない口説き文句にナマエは小さく笑い声をあげた。
「ごめんね。今日はクロードとご飯に行くの」
彼女の口から初めて婚約を匂わせるような発言を聞いて、若干気分が落ちる。
内容よりもその声色が気に食わない。甘くべたついた女の声だ。
「ああ、婚約者だもんな」
「うん。だから行けないよ」
ほんの少し棘が混じった語気にもナマエは動揺することなく即座に返す。
いつものことだが、今はそれがやけに面白くなかった。
何を言っても何をしても動じないのはナマエの魅力でもあるのに、────その余裕が酷く腹立たしい。
「なあ」
用件は済んだとばかりに歩き出そうとするナマエの手首を思わず掴んだ。
初めて直に触れた体温は自分より熱い。
薄くて細い手首を捕まえたままナマエに視線を向けると、驚いたような瞳がシルヴァンを見ていた。
「シルヴァン」
諫める声が小さな唇から飛び出す。
もう瞳に驚きの色は見えなかった。
「触れられるのも嫌ってか。まったく嫌われたもんだな」
わざと戯けてみせたシルヴァンが潔くナマエの手首を解放する。
ほっとしたように息を吐いたのは、ナマエにしては珍しくわかりやすい態度だった。
離された手首を確かめるように何度か曲げつつ、ナマエはシルヴァンを真っ直ぐすぎる瞳で射抜く。
「シルヴァン。人を試すなら、まず自分の内を見せてからにして」
笑顔のないナマエが放った言葉は痛い。
無意識にしていたことを言い当てられることほど、気まずくて痛いものは無いだろう。
賢い彼女は一瞬自分が怯んだことも、図星をさされて動けないのも気付いている。
「そんなことばっかりしてると、大事なもの失くしちゃうからね」
酷く悲しげに歪んだ瞳が、シルヴァンから逸らされた。
◇ ◇ ◇ ◇
「珍しいなぁ、ナマエがそんな微妙な顔をしてるなんて」
楽しげな声がナマエを揶揄う。
食堂だと味気ないというクロードに連れ出されて訪れた宿場は、食堂とはまた違う美味しさや雰囲気で楽しい。
食後にと出された甘味を突きつつ、ナマエは項垂れた。
「疲れちゃった」
「シルヴァンか?」
まだ一年足らずという程度の付き合いにも関わらず、ここまで察されると居心地がいいのか悪いのかわからない。
ナマエが小さく頷いた。
「何を企んでるのかいまいち読めないし、クロードと同じで察しが良いし」
油断したら負ける。
勝手に腹の探り合いをしてるのは自分だが、九割九分向こうも同じようなことを考えているだろう。
ただ口説くにしてはやけに遠回りだ。
「本気でナマエに惚れたとか?」
「シルヴァンが? まさか。わざわざ誰かの婚約者っていう面倒な子を選ぶ人じゃないよ」
クロードがおかしそうに笑った。
「いや、本当に探り合ってるんだな」
ナマエはクロードを軽く睨みながら甘味を口に運んだ。疲れた脳に糖分が染み渡る。
「ほんと、こんなの、初めてクロードに会ったとき以来だよ」
忘れもしない昨年の出来事。
いきなりリーガン家が嫡子としてクロードの存在を公表したのと、ナマエとの婚約発表はほとんど同時だった。
得体の知れないクロードの監視役として、旧五大貴族・ダフネル家の養女であるナマエがあてがわれたのだ。
円卓会議で決定したこの婚約は、クロードの本質を充分見抜ければ、破棄されることまで決まっている。
同盟主の結婚相手には不十分だと言外に告げられているのに気づかないほど、ナマエはお気楽ではない。
「俺は監視役がナマエで良かったけどな」
「私はクロードが食えない奴すぎて疲れたよ」
ため息を吐き出すと、クロードは楽しそうに笑ってナマエの鼻に指を置いた。
「なんならこのまま婚約破棄せず、結婚したっていい。あんたなら俺の野望にも付き合ってくれそうだしな」
口元は笑っているが瞳は笑っていない。
「私には荷が重いなぁ」
以前何度か軽く聞いたクロードの野望は、広大すぎて上手く想像できなかった。
ナマエは両手を挙げて首を振る。
きっと、もっとクロードに寄り添ってその野望の実現を考えられる人がいるはずだ。
「そうか? その頭の回転と、俺やシルヴァンと渡り合うだけの機微や勘の良さがあれば余裕じゃないか?」
「簡単に言ってくれるねぇ」
クロードもシルヴァンも一筋縄でいかないから今ものすごく疲れているのに。それをフォドラ中に向けてやれだなんて、無茶すぎる。
一気に疲れた顔になったナマエをクロードが再び声を出して笑った。
「相当参ってるんだな、シルヴァンに」
ナマエは最後の一口を頬張りながら神妙に頷いてみせた。