余裕なんて欠片もない

 例のなんともかっこつかない食事から数日、シルヴァンは不可解な感情に頭を抱えていた。
 日頃女性関係の諍いが絶えないシルヴァンがここ数日おとなしい、そればかりか真面目に訓練に取り組んでいるなんて、とイングリットを驚かせるほどである。
 暇さえあれば訓練場で槍を振るシルヴァンの脳裏に焼き付くのは、あの日の泣きそうなナマエの顔だ。
 いつもナマエを前にすると乱される、余計なことを口走る、頭から離れない────。

「……クソ」

 あっさり核心に触れて、逃げる。手を伸ばせば届きそうで、届かない。
 どうしても頭の中から消えないナマエに苛立ってシルヴァンが短く唸った。
 それをしっかりと耳に入れていたのはクロードである。

「随分荒れてるみたいだな? シルヴァン」

 まさに今最も会いたくないと言っても過言じゃない男の登場に、思わずシルヴァンの頬が引きつった。
 槍を振っていた手が止まる。

「おかげさまで」

 否定したところで見抜かれていることは百も承知。開き直って肯定すれば、クロードがニヤリと笑った。

「ナマエと出かけたんだって?」

 見えない真意を探るように、自分よりやや下にあるクロードの目を窺う。
 食えないのはお互い様だが、シルヴァンよりもクロードの方が楽々韜晦してみせた。

「良い女だろ? ナマエは」

 答えないシルヴァンに、クロードが続ける。
 あのクロードにここまで言わしめるナマエを、知らないときだったら大袈裟だと笑っていたかもしれない。
 けれど、今のシルヴァンには笑う余裕なんてなかった。
 
「そうだな」

 簡潔に頷いたシルヴァンへ、クロードは一歩足を進めた。

「欲しいなら奪ってみせろよ、色男」

 すれ違いざまに吐かれた言葉はどう受け止めても挑発である。
 振り返らないクロードはそのままシルヴァンの横を抜け、訓練場から姿を消した。


◇ ◇ ◇ ◇


「クロード!」

 珍しい大きな声で、飄々と歩く男を引き止めたのはナマエだった。
 なんだなんだと集まる視線を受け流してクロードの腕を掴んだナマエは、勢いに任せて人のいない方へ引っ張る。

「どうしたんだ、ナマエ」

 抵抗もせず物陰まで歩いたクロードは立ち止まったナマエに訊いた。
 わかってるくせに、という表情のナマエが唇を尖らせる。

「クロード、シルヴァンに何言ったの」

 詰め寄られてクロードが肩を竦めた。が、ナマエはそれくらいじゃ引かない。
 ここ数日でシルヴァンの様子がさらにおかしくなった、というのはおそらくナマエの気のせいではないだろう。
 前と同じように軽い口調で食事に誘ってくることもあるが、時折何か考え込むように苦々しい表情になる。
 不思議に思っていたが、どうやら訓練場でクロードと一悶着あったらしいと小耳に挟んだのはついさっきのことだ。

「最近、シルヴァンが……」
「俺が?」

 誰もいないはずだったのに第三者の声が聞こえてナマエの目が丸くなった。
 振り向いた先にいたのは話の渦中にあるシルヴァンである。
 シルヴァンの視線がナマエを越えてクロードを刺した。

「いいんだよな、クロード」

 挑戦的な瞳に、クロードは笑みを浮かべて「ああ」と頷いてみせる。

「できるものならどうぞ?」

 ナマエだけがうまく事態を飲みこめずに二人の顔を見比べていた。
 覚悟を決めたようなすっきりした顔のシルヴァンと、余裕綽々なクロード。
 一体なにが、と頭を悩ませているナマエの腕をシルヴァンが掴んだ。

「ナマエ」

 あの上辺で笑うばかりの男が見たことない真っ直ぐな瞳でナマエを見ている。
 何か言おうとナマエが口を開くよりも早く、シルヴァンの声がそれを遮った。

「ナマエのことを知りたいし、俺のことも知って欲しいんだ」

 言葉を理解しようと瞬きをしたナマエの横でクロードが穏やかに笑っていた。