表現者 ~廣瀬さんと私と表現~
廣瀬さんのFINAL LIVE(大阪)での挨拶を受けて思ったこと。
「舞台に立つことが苦しかった」
廣瀬さんの挨拶は、きっと、いくつもの批判を受け、誰かを傷つけてしまう可能性のある危うい発言だったと思う。
けれどそれは、私にとって、改めて廣瀬大介という表現者に惹かれてしまう言葉でしかなかった。
私は、音楽という表現に惚れ、4歳の頃から音楽に心を溶かし、砕いてきた。
表現は、苦しい。ずっと。
ひとつの表現のために捧げる時間や心の内、8から9割は苦しみだ。
ただ、残りの数割は何にも変えがたい幸福で、その瞬間に抱くものはいっそ最愛の人よりも魅惑的で美しく、その至福感は溺れて号哭しそうなほどに深いものだった。
音楽に命を懸けたいと感じ、自分のことを表現者だと認識した時、苦しみは多くのものを連れてきた。
正しさは無いのに正解は存在する、表現というもの。
実力がないと心を思うように見せられないのに、心で人に訴える上では実力も時に無力な、表現というもの。
目指す形はあるのにゴールが無い、表現というもの。
人前に立つ以上、無様な心は見せられない表現者というもの。
安定していなくてはならず、それでいて毎回同じものを生み出せては無意義な、表現者というもの。
それは、本当に苦しい。
上を目指せば目指すほどに自分の力を思い知らされ、それでも尚、自分は表現者であるという自意識の元ではプロ意識を捨ててはならず、スポットを浴びた時には持てる全てを懸けて観客を楽しませ、楽しむべきであると。
そんな中でもそのライトの下で、ステージの上で、表現を心の底から楽しむことは、実は時に本当に難しいことなのだ。
私も、表現と触れ合ってかれこれ10年以上経ち、去年今年に数回、ただただ心を預けて楽しむことができたことがあった。最近は少しずつ、どんな舞台もその前の苦しみも、楽しめるようになってきた。音楽と付き合い始めて14年になる今になって、やっと。
おそっ!と思うかもしれない。もしかしたら、意味が分からないかもしれない。
舞台とは輝くものだから。
実際、この話を表現者ではない、ステージに立つことの無い身内にした所、理解不能だという顔をされた。意味がわからないと言われた。けれど、表現というのは、仮にどれほどその舞台が好きだったとしても、本当に苦しくて、本当に難しいのだ。
きっと、表現というものについて考えれば考えるほど、時に自分の足元も足跡も何がどうしてそこに在るのかさえ分からなくなり、疑ってしまうものだったりする。もしかしたら、自分を見つめすぎて目が疲れ、目眩を起こしてしまうのかもしれない。
突き放すようだけれど、表現者というのはきっと、特殊な心を持っている。だから、分からない人には本当に分からない。きっと、絶対。
好きなことなんでしょ、なら楽しいでしょ、幸せでしょって、そんな簡単な肩書きじゃない。
辛いんでしょ、苦しいんでしょ、それならやめればいいでしょって、そんな薄い重さじゃない。
私のようなまだ20も生きていないひよっこですら、表現者と明確に呼ばれる世界に入ってまだほんの5,6年のひよっこですら、そう感じている。
それならば、廣瀬さんのような、既にその名前に実力や実績、そしてお客様が着いてきていたパフォーマーなら、プロとして活動をされ期待も愛も渡されている表現者なら、その背中に感じるものはどれだけの重さであっただろう。
廣瀬さんの言っていた「苦しかった」が、こうして私が思うものと同じかは分からない。
だけど、なかなか聞くことのできない “表現者の「苦しかった」という言葉” を聞いて、つい、私は自分のことを考えてしまった。
表現は、舞台は、楽しくて、苦しい。
表現者として舞台に立つ者として、それは言わない方がいいことだったかもしれない。
だけれど、苦しみを感じながらだとしても表現者でありたい私にとっては、表現者と呼ばれる人に憧れている私にとっては、すごく嬉しい言葉だった。
批判もあっただろうと思う。
でも、私は言いたい。
嬉しかった。ありがとう。あなたが好きです。と。
表現者という名前は、どんな職よりも眩しくて、人間味があって美しくて、そして、重くて苦しいと思っている。
だから私はそんな人たちのことが好きで好きで好きで堪らなくて、自分もそうでありたいと思わずにはいられないくらい深く愛してしまう。
表現という魔性の力に、時に恨めしいほどに魅惑されている。
廣瀬さんの表現。
確実に上を目指していることが分かる毎回の進化。僅かでも気を散らせない些細な表現。確実に最高峰を魅せてくると感じる大胆な表現。
そのひとつひとつに少しずつ引っ張られていき、彼演じるイギリスがメインだったGWを最後まで観終えた時には、エンドロールを見ながらもう次の演技を観たいと思った。
早く見たい、もう一度あの衝撃を、と。
魅了されていた。
もう一度同じ演技を観ても、同じ場面を何度観返しても、毎回新鮮にその表現に心惹かれるような気がした。
そう。それこそが、私が求める表現の在り方で、私が目指す表現の後味だ。
たった一瞬の目線、たった一瞬の表情、たった一瞬の動き、それらを何度も頭の中で繰り返し再生してしまう。
全く同じ演技でいいから、目の前で感じたい。
全く違う演技の瞬間を、目の前で味わいたい。
一瞬の時を永遠に残していく表現者。
それこそが、私の中の最高級の表現者で、憧れだ。
苦しみながらも最高の表現を創り出そうと心を砕く廣瀬大介という表現者が、苦しみながらも生み出された、私の魂を恍惚とさせる廣瀬大介の表現が、きっと、私はたまらなく好きだ。
私の魂とどこか共鳴し、私の魂が憧れる光と影を持っている廣瀬大介という表現者を、きっと私はどうしても求めてしまうし、彼に何度でも期待してしまうだろうと思う。
仮に彼がそれを望んでいなかったとしても、そこまでの魅力を感じてしまっている。
虜になる魅力。
廣瀬さんは天性の表現者なのかもしれないし、優れた努力家なのかもしれないし、その両方なのかもしれない。
どちらにしろ、そこから生み出される表現は、私を揺さぶる最高級の味がした。
廣瀬大介という表現者に出会えた奇跡に心から喜んでいる。
スポットの下にいてくれてありがとう。
2024/02/09