雑記    

学びによる楽しみへの略奪


アニメやゲームなどを無意義と言われた時に「いや、これは勉強になるから」って理由付けするの、よく考えたら変だな。

娯楽から好きや楽しいを得ることと勉強になるものから学びを得ることの難しさの差はそこまで大きくない気がする。
そこに意識を向けるかどうか、そこで自分が得たことに対する達成感をどのくらい感じられるかの向き不向きはあれど、娯楽に無理やり「勉強になる」という価値を与えないとまるで楽しんではいけないみたいになるのは謎。

勉強の全てから自分にとって有意義な学びを得られないのと同じように、全ての娯楽から自分にとって有意義な楽しみを得られるとは限らないのだから、学びが貴重なように楽しみや好きも希少なもの。

楽しいから面白いから好きだからという理由でそれらに時間をかけるのは無意義だとされてしまうのは、どうも受け入れてはいけない気がしてきた。重要なのはその娯楽が勉強になるかではなく、学びと楽しみのバランスを自己管理できるかどうかだよね。

融合はいいけど略奪はだめだよ。結局バランスが崩れてるもの。