03.梅雨
慣れぬことをするものではない。
今日ほどこの言葉を痛感した日はないし、これからもないだろう。あってたまるか。
中間試験が近いこともあり、先生にわからない問題を訊ね、結局あまり理解できなかったが頭はよくなった気はするのでさぁ帰ろうと下駄箱まで降りたら目の前に広がっていた景色は一面あめアメ雨である。
いつも一緒に下校している友人たちは先に帰ってしまったし、昨日から試験期間に入ったので普段なら騒がしい教室も静まり返っており、大粒の雨がアスファルトに叩きつけられる音が一層虚しさを引き立たせている。まるで自分ただひとりしか存在しないのではと錯覚するほどの孤独感だ。
雨がやむまでの間、如何にして時間を潰そうかと考えていたところにペタペタと廊下を反響させたゴム製の音が聞こえてきた。同じゾーンの靴箱だったらだいぶ気まずいな〜来るなよ〜来るなよ〜と思っていたら、不運にも足音はこちらに向かってきた。
「うわ、ミョウジ」
「なんだ三ツ谷か」
正体は、ただの三ツ谷だった。
嬉しいという気持ちは全く持ってないが、離したことのない人じゃなかっただけマシと思うことにしよう。
三ツ谷は無気力に靴箱にもたれかかっている私の前を通り過ぎ、ラバーソールも装飾もやたらと大きい靴に履き替てから、雨が降り注ぐ方にビニール傘を広げた。そのまま足を踏み出すのかと思いきや、こちらを振り向いて口を開いた。
「…誰か待ってんの?」
「いや?普通に傘がない」
「友だちは?」
「先に帰っちゃった」
いつも軽口を言い合っている関係とはいえ、若干惨めだから一刻も早くこの場から去ってほしい。俺の屍越えて行けよ。そんな私の想いとは裏腹に、三ツ谷に動く気配すらしない。
「入れよ。送ってく」
「え、」
「えってなんだよ。そんなに嫌か」
「違う。狭くなるし、いいよ」
まさか三ツ谷が私に気を遣うとは…と驚いたが、いくら三ツ谷とて傘に他人を入れて帰るなんて面倒だろうと思い、咄嗟に申し出を断った。自分の予想とは違う返しだったのか、三ツ谷は一瞬目を丸くしてからため息をついた。
「オマエいっつも変なところで気遣うよな。ここで置いてったほうが気になンの」
「そういうもん?」
「そういうもん」
三ツ谷がそこまで言うなら…と他人の好意に責任をなすりつけようとしたその時、雨音のなかに聞きなれない電子音が響いた。私は常にマナーモードにしているので、恐らくとなりの三ツ谷の携帯電話だろう。どうやら当たりだったらしく、お尻のポケットから取り出したケータイを耳に当てた。
「ルナ?どうした?これから帰…」
『今日 たまごのセール 4時半からだった!』
『マナもはなすー!』
「あー、今日だったか。わかった。買ってすぐ帰るからいい子でいろよ?」
簡単に返事をして三ツ谷はすぐに通話を切った。どうやら電話の主は三ツ谷の妹ルナちゃんとマナちゃんで、ハツラツとした声が横にいる私にも漏れて聞こえてきた。
「聞こえてたよ。スーパーの特売あるんでしょ?私、やっぱり雨やむまで待っとくから、はやく行きなよ」
私がそう言うと、無言で三ツ谷は雨のなか一歩踏み出した。夕方までには止むといいなとぼんやり考えていると、急に腕を引っ張られ屋根のない外へ連れ出された。が、雨に濡れることはなく三ツ谷が持つビニール傘の下に入れられていた。
「なに!? 話きいてた!?」
「ばーか。数量制限の特売セール要員を逃すかっての」
そういって三ツ谷はいつぞやのいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
*
「悪ぃけど、俺ん家行くぞ」
「もち。買ったモノ冷蔵庫に入れないとね」
買い物を終えたときには既に小雨になっていた。
「流石にまだ傘は必要か…」
「おら、大人しく入れ」
「お邪魔します」
スーパーに来たときと同じポジションで傘の中に入る。
三ツ谷が右で、私が左。
先ほどと違うことといえば、食料が入った荷物があること。
「三ツ谷、荷物持つよ」
「いいって。俺んちの食料だし」
「ん〜…じゃあ傘持つ」
「あー、頼むわ」
スーパーに向かっていた時と違い、地面をたたく雨の音が小さくなったからだろうか、沈黙がなんだか気まずいこともない。冷気は若干落ち着いた代わりに高くなった湿気を少し鬱陶しく感じる天候になっていた。
湿気で広がったような髪を撫でていると、隣から「あ」と買い忘れを思い出したような声が聞こえた。
「今日、俺の誕生日だわ」
「お、めでとう」
まさかの本日の主役発言に驚くも、お祝いの言葉をかけておく。一応。
「それだけかよ」
「今知ったから流石にプレゼントはないよ」
「なんかあるだろ」
「オメデトウという気持ちはある」
「本当に思ってんのかよ」
「思ってる思ってる。や〜、目出度いですなぁ」
おどけて返事をした私に対し、三ツ谷が急に足を止めた。
「じゃあもっかい言って」
「え、そんな、改めると恥ずかしいじゃん」
「ほら、俺、誕生日なんだけど?」
じんわりと汗をかいた手を握って、気恥ずかしさを咳ばらいで誤魔化す。
羞恥心を刺激する、新たな嫌がらせだろうか。だとしたら紛れもなくサディスティック星の血が入っているぞ、この男には。
「え、えと…」
「……」
少し屈んで目線を合わせ、まるで幼い子どもが話し出すのを待っているような、決して急かすことなく言葉を待っている三ツ谷の様子が逆に私の羞恥を煽る。
「えー、三ツ谷隆くん。この度は、お誕生日おめでとうございます」
「ん。あんがと」
満足したらしい三ツ谷は足を動かし始めたので、私もつられて歩いた。