音色にのせて−2


状況の分析や様々な問診、DNA検査など普段の診断よりもかなりの時間を擁して個性診断が行われた。

結果、やはり奏弥には個性があることが判明した。

それは、「奏弥が音楽を演奏しているときに命令すると聞いている者を従わせられる個性」というものだった。発動条件がひどく限られているため、前例はない。
実は両親も無個性のため、もしかしたら何か両親にも精神作用系の個性があるのかもしれない。

先日のコンサートで思い当たる節があるとすれば、途中でかなり気持ちを籠めて演奏した曲だ。

ロベルト・シューマン作曲、作品12「幻想小曲集」より第2曲、「飛翔」ヘ短調。
シューマンの3つの小曲集の中で、ピアノによって演奏される作品12、その最も有名な曲だ。この時代の作曲家らしく、非常に情緒ある曲が集められたもので、「飛翔」もまた高難易度ながら表現力の高さも求められる美しい曲である。

病院の診断室、医者と警察に、奏弥はそのときのことを思い出しながら報告する。



「この曲はもともと手の大きさが足りないと絶望的なほど難しくなる曲としても有名です。俺は男だし困ったことはないけど、それでも表現をするにはかなりの習熟度が必要なピースなんです。だから、全力で、「飛べ」って念じながら弾きました」


「飛翔」冒頭の激しい曲想は、奏弥の中では羽ばたこうとしてなかなかうまくいかないもどかしさも秘めている。白鳥が優雅に飛び立つような曲ではなく、人の目には一見暴れているようにすら見える豪快な、そして困難な離陸。曲が展開するにつれて、飛び立ち、優雅に飛行する姿に代わっていくように思える。


「なるほど、それに影響されて観客たちが飛んだ可能性が高い」


医師が言うと、警察も頷く。


「おそらく、中にはちょっと道の真ん中で飛んだとか、ソファーから床に飛び降りたとか、まったく怪我につながらないようなことをした者もいたと思います。半分が怪我につながってしまったと」

「もしかすると、音羽さんの演奏にどれだけ心を動かされたかで影響の程度も変わるかもしれませんね」


奏弥の個性は今分かったばかり、しかも音楽によってのみ作用するという特殊なものだ。
奏弥は、じわじわと不安が募るのを感じた。


「…あの、俺の個性のせいで、皆が怪我した、ってことですよね」

「あ…まぁ、そうなりますね」


奏弥が言うと、それを前提にしていたことに気づいた警察が気まずそうにする。今回は意図的でない上に無個性だと思っていたので、個性犯罪とはならない。だが、今こうして分かってしまうと、今後どうするのかという話になる。


「もし俺が、「死ね」って念じながら演奏したら…その気がなくても、うっかりそう念じてしまったら……」


そうなれば、立派な大量殺戮に早変わりだ。今回だって、死者がいなかったのはただの奇跡なのだ。

奏弥は手が震えるのを感じる。もしも、というのは仮定の話に過ぎずとも、普段の演奏はそんな頭の中で思考などしていない。
音楽は芸術だ、論理的に考えて行うものではない。「飛翔」のように劇的な曲なら、テンションが上がってそういうことを考えてしまう可能性がある。

何より、奏弥にとって大勢の人間を殺すことが非常に容易だと分かってしまった。


「もしも、俺の個性が再生産物でも影響を残していたら、俺が世に出してるCDのように、その場での演奏という限られた状況すら抜けて、無制限に世界に広げることができてしまいますよね…」

「…、」


考えれば考えるほど、奏弥の個性の持つ危険性に、警察も医者も顔色を悪くした。
全国放送のCMで使用する音楽の依頼を受けてそれを作り、それに「死ね」と念じてレコーディングすれば、あっという間に日本全国で大勢の人間を殺害できてしまうかもしれない。
まだ再生産されたものでも影響があるのか分からないが、その可能性は捨てきれない。

警察は何も言わなかった。気を付けていきましょう、なんて無難なことを言って奏弥を帰したが、きっと敵予備軍ないし敵になれば厄介な者として認識されただろう。

何よりも、奏弥自身が怖くて、これ以上人前で演奏することを躊躇ってしまっていた。


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