音色にのせて−6
そうやってしばらく弾いているうちに、上鳴がふと、「そーいや奏弥、クラリネットも吹けるよな」と聞いてきた。
「一通りの楽器できるけど…どうして?」
「中学んときにさ、初めてお前が演奏してるとこ見たの、クラリネットだったんだよ。確か、クラリネット五重奏、ブラウン管みたいな名前の人の」
「あぁ、ブラームスのクラリネット五重奏曲ロ短調作品115だね」
変な人の多い有名作曲家の中でも、メンヘラで知られる人物だ。その曲はコアなファンが多いが、自身はベートーヴェンの天才ぶりに慄いて勝手に自信を無くした。
そんなブラームスの晩年の曲で、これも非常に評価が高いのだが、あまりに評価されるものだから同時期に作ったクラリネット三重奏の方が好き、なんて言っていた。
「管楽器、特にリード楽器はさすがにいきなりは吹けないな。ひたすらロングトーンやんなきゃ」
「弾けってわけじゃねぇからさ」
「ん…あ、そうだ、上鳴君さ、『舞踏への勧誘』って知ってる?」
「天下一武闘会?」
「踊る方ね」
ウェーバーが作曲したピアノ曲である。後にラヴェルやベルリオーズが編曲したオーケストラバージョンの方が有名かもしれない。
「この曲さ、冒頭で紳士が淑女を舞踏会で誘うんだよ」
「どゆこと?」
「こういうこと」
奏弥は実際に演奏する。まず左手の低音で、上昇音階を基調とする誘い。続いて、両手による中高音域での美しく可愛らしい和音。教会旋律と呼ばれた進行は、実はサティが初めて一般楽曲に応用したとされる。
さらに続いて、左手の低音が今度は装飾音つきで繰り返される。さらに中高音域での和音、ついで下降音階と装飾音。
その後、低音と高音の掛け合いが続き、それはやがて同じ上昇音階のフレーズを奏でともに進む。そのユニゾンを終えると、数瞬の溜めの後、盛大な主旋律が始まる。ワルツによる舞踏会の様相だ。
つまりは低音が男性、高音が女性で、ダンスに誘っている様子が冒頭部分の解釈だ。
「うおお、確かに誘ってるわ!」
「俺の中では、紳士が誘って、淑女が断って、それでも紳士が粘って、やがて淑女が折れて誘いに乗る、みたいな感じ」
「ナンパみてぇだな」
「でしょ?だから、現代のチャラ男風とかできるよ」
低音の上昇音階を最初から装飾音つきにして、上昇するにつれて普通は弱めるところを強く速くすることでチャラさを演出する。それに対し、必要以上に高音の和音を綺麗にやれば清楚系ビッチ、逆に荒く適当にやればギャルのようになる。
そう説明しながら演奏すれば、上鳴はゲラゲラと笑い転げた。
「やべー、マジでビッチだ!ウケる!!」
「清楚系ってとこミソね」
「いやーすげぇな!なんつか、クラシックって堅苦しいイメージあっけど、意外とそうでもねぇっつーか」
「まぁこの時代の演奏家はってとこもあるけどね。古典派やバロックはイメージ通りなところはある」
いつの間にか演奏することへの恐怖など微塵もなくなっていた。上鳴がけろりとして隣に立って聴いてくれているからだろう。きっと、聴衆の前でやれと言われたら話は別だ。
「うん、なんつか、やっぱ個性とか関係なく奏弥の表現力って確かだなって思った」
「そう、かな」
「おう。だって、クラリネット五重奏だって、あれ聴いたから俺、お前のこと好きになったわけだし」
「なるほ…ど……へっ?」