力の正体−8
自宅の風呂の中、朝祇は深くため息をついた。
廉造の家で聞いたことは、正直、ショックを隠せなかった。記憶を消さないといけなくなるのこともそうだが、それよりも大きかったのは、廉造が近付いてきた理由だ。
「勝呂のため、だよな、そりゃ…」
朝祇の体に黄龍の模様が現れたとき、それが何なのか分からない以上、勝呂に危険が及ばないか監視する必要が生じた。もし最初から模様のことを口にしていれば、その場で何かしでかす恐れもあるわけだから、見えていることを隠すのは当然だ。
そう、何も不思議なことはない。廉造が朝祇と仲良くなりたくて近付いてきたわけではないことなんて。
「はぁ……」
『何を辛気臭いことをしておる』
「…なんかもう色々信じられなくなりそう。黄龍は五徳の"信"担当でしょ?どう思うよ」
五徳とは四神と黄龍がそれぞれ司る信、義、智、礼、仁の5つの持つべき道徳のことである。黄龍は信、信頼や信用を司る。黄龍に憑依されてから、ちょくちょく黄龍のことを調べていくなかで知ったことだ。
『あの小僧のことか。知らん』
「えっ、なんでよ」
『自ら見たものを信じればよい』
頭に語りかけてくる黄龍の言葉に、思わず押し黙る。これまでの廉造とのことを思い出せということだろう。
『あの小僧が嘘をついていたところを思い起こせ』
「…そんな、どれが嘘だったかなんて…」
『お主が見たやつの姿はすべて嘘だったのか?』
「……」
逃げられない、でもいざとなったら一緒に逃げちゃおう。そう朝祇が言ったときの廉造の顔。あれは、嘘だったとは思えない。それを考えれば、ずっと廉造が打算的だったわけではないだろう。
けれど、記憶をなくさなければならない朝祇のことを廉造が引き続き話したいと思ってくれるのだろうか。
「…黄龍はさ、このままだと祓われちゃうけど、いいの?俺も記憶を消されるし」
『また機会が巡るのを待とう。我はお主に完全に憑依しているわけではない。お主に憑依している部分がなくなるだけだ』
「そうだけどさ…つらいもんは、つらいだろ」
土壌汚染が収まるわけでもない、このまま弱った状態が続くのだ。それはたとえ神様だろうと、人と変わらないのではないか。
『…――まったく、お主は。普通の人間と己がずれていることを分かっておるのか…』
「いきなりなんだよ」
『お主には分からんだろう』
「はぁ?」
いきなり訳の分からないことを言い出した黄龍に、朝祇は文句のひとつでも言ってやろうかと思ったがやめた。一応、相手は神様だ。
『それよりも、さっきの質問だが。我はお主に任せよう。お主の心の望むままにするが良い。お主が選んだことであれば、受け入れてやろう』
「……、分かった」
やっぱり、神様は神様だな、と思う。
黄龍の飾らない優しさが、不思議と心地よかった。
***
風呂を出た朝祇は、そのまま母親の部屋へ向かった。遅くまで仕事をした母親は、部屋に戻っても書類整理などの細々としたことをやっている。そうやって、朝祇と生きていくために頑張ってくれているのだ。
「ねえ、母さん」
「あら、お風呂出たのね。どうかした?」
母、真由美は、綺麗な顔に綺麗な笑みを浮かべ振り返る。我が母親ながら美人だ。
「あのさ…高校、のことなんだけど」
高校、という単語を出すと、真由美は一瞬動きを止めてから、こちらに向き直った。
「…聞かせてちょうだい」
そして、やはり優しい笑顔で、そう促した。朝祇の考えを、聞こうとしてくれている。
「特にどこって決めてるわけじゃないんだけど。寮がある学校にしようと思うんだ。…この街を、出たくて」
「……そう、やっぱり。母さん分かってたの、あなたが京都を離れたいこと」
真由美は苦笑して、手に持っていた書類を置く。やはり母親だからか、朝祇のことはお見通しだったらしい。
「寂しくなるけど…でも、母さん、あなたがあなたのしたいように生きられることが、ずっと目標だったのよ」
京都を離れたいことを真由美が気付いているであろうことは予想がついていた。しかし、朝祇にとってその次の言葉は予想外だった。
「俺の、したいように…?」
「あなたを片親という他の子と違う状況にしてしまった負い目があるの。だから、あなたがそんなの関係なしに、生きたいように生きられるくらい、それを後押しできるようにすることを目指してたのよ」
真由美はそう言うと、引き出しから何かを取り出した。それは、普段使うものとは違う通帳。
「あの人…父さんからの慰謝料や、私の両親からの生前贈与が入っているわ」
手渡されたそれには、信じられない額の桁が記されていた。これなら、私立高校はおろか大学まですべてここから出せる。
「私の家は、実は大昔からの名家でね。明治時代に没落してしまったけれど、遺産はすごいのよ。ここから生活費を出してもよかったけど、少しでもあなたの可能性を広げるために手を出さなかったわ」
「母さん…」
朝祇は目の前が滲むような気がした。勝手に、真由美を置いて街を出られないし、そのための学校にも通えないと思っていた。しかし、真由美はちゃんと考えてくれていたのだ。
「朝祇は優しいから、私に気を遣うかもしれない。でもね、子供が親の気を遣って未来を諦める方が、よっぽどつらいのよ」
あぁ、何も分かっていなかったんだ、と朝祇は俯いた。真由美の気を分かっていたつもりになっていた。だが、所詮は子供。母の持つ愛がいかに大きく、偉大で、尊いか、分かるわけがなかったのだ。
「ありがとう…母さん…俺、頑張る…頑張るよ」
そうして、朝祇の意思は固まった。明日、それを廉造に伝えるのだ。