すぐそばで−11
寮に戻ってくると、朝祇はリビングのソファーに腰掛けた。どうにも気疲れしてしまった。
メールで勝呂たちが荷物を教室から取ってきてくれるらしい。礼を言って、茶くらい用意しておこうとキッチンに立つ。
紅茶を準備してしばらく、勝呂と子猫丸が戻ってきた。やはりどこか疲れている。
「おっ邪魔しまーす」
その後ろから元気そうに入ってきたのは燐だ。手にはスーパーの袋。
「この前言ってた、学園祭で出したやつ、作りに来てやったぜ」
「え、ほんと?ありがと」
どうやら島根での口約束を果たしてくれるらしい。燐に食材をしまってもらい、朝祇は紅茶を淹れる。
燐に手伝ってもらってテーブルに運ぶと、疲れたような、あまり明るくはない顔で勝呂と子猫丸が座っていた。礼を言う声にも覇気がない。
勝呂と子猫丸の対面のソファーに燐と座ると、燐は「そーだ、」とこちらを向く。
「一ノ瀬は、志摩のこと信じてんの?勝呂はとりあえず言っただけって言いやがって…まぁ、それはそれで分かるんだけどよ…」
拷問を回避するために言っただけ、ということだろう。そりゃ、反抗期だなんて言われて信じられるわけがない。
「…俺は、もとから信じてるよ」
「あないな目ェ遭ってもか?」
それに、勝呂は眉根を寄せて疑問を口にする。父のことだ。
「あれは廉造がやったことじゃない。気にして…」
「ない、いうんは嘘やで。昨日お前めちゃめちゃ魘されとったやろ」
「えっ、そうなの?俺知らないんだけど…」
「明け方、俺がランニング行くときにお前ん部屋の前で聞こえた。『ごめん、ごめんね』て言うとったで」
それを聞いて体が強張る。記憶にはないが、夢でも見ていたのだろう。腹違いの妹がゾンビ化していた光景や、苦しむ異形の父の姿を。
起きている間は、島根で言った通り自分の気持ちが分からない。だが、深層心理は違うのだろうか。マグカップの紅茶を見つめていると、燐がつとめて明るく取り成す。
「ま、まぁ、帰って来たんだし、後で殴るなりして聞き出せばいいだろ!」
それは拷問では?と思ったところへ、玄関が開く音がした。がちゃりという音、そして勝呂よりは軽く子猫丸よりは重い足音。
リビングに入ってきたのは、廉造だ。
「あー…ただいまぁ…」
少し気まずそうにしている廉造。この長い日常的時間を過ごしたリビングに、ただいま、と言って廉造がいる。それが、帰ってきたのだということを、もっとも鮮明に感じさせた。
思わず朝祇は立ち上がる。廉造に視線を向けていた勝呂たちは、驚いてこちらを見た。
そのまま廉造の前に行くと、廉造もびっくりしたように見ていた。
何か言おうとしたが、それと同時に、急速に胸の奥から何かが沸き上がってきた。欠けていたピースが埋まり、気付かなかった様々なことに、一気に気付いていく。
廉造がいなくなり、もう何年も会えなくなるかもしれないと思った。生き別れるかもしれないと思った。父や妹の変わり果てた姿に、助けたかったという無力感を感じた。いつかまた、仲直りできるかもしれないという小さな希望が潰れた。
頬を、何かが伝う。
それを感じたときには、もう目から溢れ出てくるものを止める方法が分からなくなっていた。
頬を拭った手の甲に、冷たい雫が乗っている。あぁ、泣いているんだ、そう思った瞬間。
その瞬間には、朝祇は暖かいものに包まれていた。同時に、懐かしく感じる匂い。視界のピンク色。
自分より6センチ大きく体格の良い体に、抱き締められている。そして、耳元に切なそうな声が静かに響く。
「ごめん、ごめんな朝祇…つらい思いぎょうさんさせてもうて…ホンマごめん…!」
廉造に力強く抱き締められ、いよいよ堪えられなくなった。
「うっ…れ、んぞぉ…!」
寂しかった。不安だった。悲しかった。つらかった。誰かに側にいて欲しかった。廉造に側にいて欲しかった。
本当は、行かないで欲しかった。
嗚咽を漏らして泣くのは、いったい何年ぶりだろう。少なくとも、ここ数年の記憶にはなかった。