冀うは、−4


そんな軽い気分で廊下を歩いていた朝祇だったが、急転直下、事態は起きていた。

突如として廊下に響き渡った女子の悲鳴。声からして出雲と朴だ。まさか廉造が覗きをしたのか、と一瞬思ったが、それにしては悲鳴が鬼気迫るものだった。
何か起きている、そう判断して朝祇は急いで浴場へ走った。階下の廊下へ駆け降りると、ちょうどしえみが転びそうになりながらも浴場に入ろうとするところだった。確か、一緒に風呂へ向かっていたはずだったが。


「杜山さん!何事!?」

「一ノ瀬君…!分からないけど、とにかく行かなきゃって…」

「そっか、俺も行くよ」


朝祇はしえみと共に女子風呂に突入した。そして入ってすぐ、目に飛び込んで来た光景に目を疑った。

広々とした脱衣場、座り込む出雲のその前に立つ燐、倒れる朴と、その上に立ちはだかる巨大な悪魔。


「ナベリウス!?しかも人型…!」


授業でネイガウスが召還した獣型とは違う、人型のナベリウスだ。頭が2つあり片方は縫われて顔が見えていない。死体に憑依するグール系らしい、おぞましい姿だった。
朴にその魔障があるのを見つけたしえみは、すぐに駆け出した。


「燐!私が手当てをするから、悪魔引き付けて!」

「はぁ!?簡単に言いやがって…」


燐はそう言いつつ、朴に駆け寄るしえみからナベリウスを遠ざけるため、肩にかけていた剣を袋に入れたまま鈍器のように扱う。


(なんで剣抜かないんだ…?)

『あの剣は明陀宗の本尊、倶利伽羅だ。神聖な剣で、あそこにあやつの悪魔としての心臓が封じられておる。恐らく、人として自我を保つために悪魔の部分を剣に封じておるのだろう。鞘から抜けば、あやつに悪魔の力が部分的に戻ることとなる』


剣を抜かないで戦う燐の理由を、黄龍が推測してくれた。つまり、燐は今、ただの人間が鉄製の棒を振り回しているのと同じ程度の力しか奮えない。朝祇は正体を知っているからともかく、しえみと出雲が見ている前で抜刀は不可能だ。

つまり、朝祇が動くしかない。

しかし、黄龍の力を使うには、この状況下では地中の土を地上に突きだして壁を作ることしかできない。だがそうすると、地中の水道管や電線を破壊しこの建物、引いては周辺施設のインフラに影響を与えかねない。地中にある建物の基礎も破壊してしまう。おいそれと地面を弄ることは都市ではご法度なのだ。漫画とは違い、実際はそんなものである。
印章紙さえあれば麒麟を呼び出せるのだが、生憎持ち歩いてなどいない。

そう考えている間にも、ナベリウスは燐の頭を鷲掴みにし、思いきり浴室へと投げ飛ばした。ガラス戸を突き破りタイルに打ち付けられる燐、しえみは心配そうに叫ぶが、燐は「構うな!」と叫び返した。
ガラス戸が枠を外れて床に倒れガラスが砕け散る激しい音も、燐の呻く声も、日常生活では絶対に聞かないものだ。その大きな非日常的な音に、恐怖した。

かつて黄龍が中学で襲われていた朝祇を助けてくれたとき、教室を破壊して同じような音を聞いたが、あのときは意識も薄れかかっていた。今は、はっきりとした意識下でこんな事態になっている。悪意をもって人を襲う悪魔だって初めて見た。

怖い、ただただ怖い。
日常を足元から揺るがす状況と、非日常的な音や風景、殺意を持つ人ならざるもの。こんな状態で悪魔を召還すれば逆に襲われてしまうだろう。


「兄さん!」

そこへ、雪男や勝呂たちが入ってきた。即座に雪男は拳銃を抜いてナベリウスに発砲する。ナベリウスは劣勢を察知してすぐに逃げていった。


「しえみさん、朴さんの様子は」

「ゆ、雪ちゃん…」

「…しえみさんの処置は正しい、しえみさんがいなかったらどうなっていたか」


しえみは魔障に対し正しく対処できていた。燐から前に聞いたところでは、祓魔師の薬屋を営む家の娘だそうだ。


「朝祇、怪我ないか」

「廉造…」


まっすぐこちらに駆け寄るのは廉造だ。立ち竦む朝祇の肩を抱く。


情けない。しえみは怖じ気づかずに頑張って朴を救ったのに、男である朝祇は燐のことを助けることもできずただ突っ立っていたのだ。何のために来たのか。

本当に情けない。
泣きそうになって、でもそこまで情けない姿を晒すものかと、歯を食い縛った。


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