転機と決意−6
よく詠唱しながらこれだけの説明ができるものだ、と感心した。
しかし、廉造は静かに声を落とす。
「俺に虫沼に浸かれ言うんですか…しかも杜山さんの太ももに挟まれて…往生しますよ…」
「志摩さんは一回煩悩断った方がええよ」
「子猫さんまでひどい!!朝祇は俺の味方やんな!?」
「俺もお前の立場だったら死にたくなるけど…ほら、麒麟とかいるし」
その立場に立たされたら使い魔に頼るだろう。絶望する廉造に痺れを切らしたのか、結局燐が「どっちも俺が運ぶよ、めんどくせえ」と男前なことを言った。
そして、まずは燐がリアカーを対岸に運び、廉造と子猫丸が橋を渡って対岸に控える。朝祇は橋の中程で待機だ。
燐はもう一度戻ると、今度はしえみを肩車して虫沼に飛び込んだ。やはりブチブチと音がするが、何の音かは考えない。決して予想しない。
そこに、子猫丸が札を持ち「こっちは大丈夫です!」と合図する。
「こっちも大丈夫だ!」
「俺もいつでも平気!」
燐、ついで朝祇も合図を出せば、勝呂は頷いて化燈籠の札を剥がした。
「行け!!」
目覚めた化燈籠は、虫沼の中で肩車されるしえみを見付けるなり、目をハートにさせた。なんと分かりやすい。そのまま馬のように嘶くと、思いきり飛び出して虫沼に飛びこみ燐たちに迫る。
「こっちだよ〜!」
「なに呼んでんだよ!」
燐は全速力で走り、朝祇も銃口を化燈籠に合わせ続ける。そして追い付かれそうになった直前、燐はしえみを草むらに投げ飛ばし、自分は屈む。
化燈籠は飛び上がってリアカーに綺麗に着地し、即座に子猫丸が札を貼って詠唱を始める。途端に化燈籠は鎮静化し、大人しくなった。
無事、化燈籠の川渡しに成功し、息をついて朝祇も対岸に向かう。勝呂もやって来て、全員が揃った。
「はぁ〜、何とかなったな!…って、あっ、」
しかし。
油断禁物だった。燐が手をついて凭れた鳥居のような橋桁は、その馬鹿力が仇となり、簡単に傾いた。
あっ、と思ったときには時遅し。橋は完全に虫沼へと崩落し、大量に貼り付けられていた札が何枚か力なく舞った。
そして、それを合図に突如として虫沼から体長10メートルはあろうかという巨大な蛾が姿を現した。
森のなかを飛び回るものとは格が違う大きさの虫豸だ。巨大虫豸は触手を使って近くにいた燐を絡めとり、四肢を拘束する。
「うおわぁぁあ!!?」
「燐!!」
「奥村ぁ!!」
しえみや勝呂が叫ぶ。すると、燐は宙で両手両足を触手に掴まれながらもバランスを保ち、こちらを見下ろした。
「俺が倒していくから、お前らは先行ってろ!!」
「んな!?お前なぁ…!!」
この前の合宿と同じだ。やはり、燐は炎を使うために一人になることを選んだ。朝祇はそうと分かっているからいいが、勝呂たちはそうではない。
「お前はそうやって…行くわけないやろ!!」
勝呂はそう怒鳴ると、肩を怒らせて歩きだす。
「志摩、錫杖(キリク)貸せ」
「大事に使ってくださいよ」
心得たように廉造は錫杖を勝呂に渡す。勝呂はそれを持ち、足元に落ちていた札を拾い上げると、錫杖の先端で札を貫くようにして虫豸へと槍投げのように投げた。それが虫豸の額に直撃して突き刺さると、真言のようなものを唱える。
そして詠唱した瞬間、どこからともなく雷が錫杖に向かって落ち、雷鳴が轟くとともに虫豸がもがいた。
「おわっ、」
「キリーク!!」
その衝撃で燐が落下するのと同時に、勝呂は錫杖を呼び戻し、手元に掴む。ついで燐を落ちた虫沼から引っ張り上げると、リアカーへと走り出した。
「俺ができるのは時間稼ぎまでや…逃げるで!!」
そう言う通り、虫豸は怒り狂った様子で上陸してきた。慌てて燐はリアカーを引いて走り出し、廉造たちもついて走る。
「奥村!ちょっと重くなるぞ!」
追い付かれる、そう判断した朝祇はリアカーに後ろから飛び乗り、化燈籠に掴まって後ろを向いた。燐の呻き声は聞こえないフリだ。
リアカーに乗ることで安定すると、後ろに向けて銃口を向ける。
「冀うは白秋が剛金!」
索冥の力を銃身に宿し、虫豸に向けて連続射撃を開始する。太い木の幹ですら一撃で切断する銃弾が大量に虫豸に撃ち込まれ、虫豸は体液を飛散させながら止まり、禍々しい悲鳴のようなものを発する。
それにより動きは鈍化し、なんとか一行は振り切ることに成功した。
追ってこないことを確認し、一度立ち止まる。
「た、助かったわ…」
朝祇はリアカーを降りて息を切らす廉造の背中を擦ってやる。全員汗だくだ。
「勝呂、助けてくれてありがとな」
「借りを返したまでや」
「借り…?」
一方、燐はあまり疲れた様子もなく、勝呂に礼を言う。それに対して勝呂はぶっきらぼうに借りだと言った。勝呂は、以前体育のときにサタンを倒すという野望を宣言したとき、笑わずに同じ夢を口にした燐に救われたのだと言う。
「あぁ…ほら、俺バカだから、そういうの考えてないっつーか…」
「俺はそうは思うとらん。けどな!お前は一人で抱え込もうとし過ぎや!!」
燐は苦笑したが、勝呂は真摯な姿勢を崩さない。そして、強い口調と目付きで、燐を正面から捉えた。
「味方がおることを忘れるな!!」
(そう、そうなんだよ、奥村…)
勝呂が言うことは、前の合宿で朝祇が痛感したことだ。非日常的な現場や悪魔に恐怖を覚え立ち竦み、麒麟を呼び出すことを躊躇った朝祇を勇気づけたのは、仲間の存在だった。
祓魔師は一人では戦えない。つまり、祓魔師は一人じゃないのだ。朝祇には、燐には、仲間がいる。
「サタン倒すんなら、一人じゃ倒されへんよ」
「俺も微弱ながら力になるわ。まぁ、俺は虫関係は役に立てへんけど」
「みんないるよ!」
子猫丸、廉造、しえみと続く。みんな、勝呂が言う前から燐に対して気づいて思っていたことだ。
「もっと頼れよ、奥村。まぁ、廉造は頼りないけど…」
「ちょお朝祇!!」
慌てる廉造に、しえみや子猫丸の笑いが響く。燐は「…おう、」と微笑みながら応えたが、どこかその顔には影があった。
燐には、サタンの落胤という消せない事実がある。朝祇たちではどうすることもできないことだが、せめて、それを知っている朝祇のことくらい頼ってくれたら。そう思った。