夏ノ日ヲ想フ−2
1922年3月、東京市京橋区。
夜も9時になろうかという時間になって、ようやく千秋は親しい友人と喫茶店を出て別れ、赤電車の名で親しまれるオレンジ色の路面電車に乗って帰路に着くのを見送った。もともと、その友人はつい最近まで満州に赴任して奉天で暮らしていた。そこで南満州鐵道の修繕にあたり、ついでに満州の女性と結婚して帰国してきたばかりだった。
今日は満州での様々な話を喫茶店で話しているうちに盛り上がってしまい、ついこの時間まで居座ってしまった。
さて自分も帰ろう、と第一京浜街道へ向かう道すがら、せっかくなら東京駅の夜景でも拝んでいこうと思い立ち、少し足を伸ばして麹町区の東京駅へとやって来た。
オレンジの最新の電灯に照らされた赤レンガと白い模様の描かれた壮観な駅舎は、夜間だというのにそれなりの人通りがあり、大日本帝國の玄関に相応しい貫禄を醸し出していた。
千秋も金杉新浜町の職場で赤レンガに囲まれているが、新進気鋭の建築家が建てた駅舎はやはり比べ物にならない。
するとそこへ、警笛を鳴らしながらけたたましく汽車がやって来た。車輪の規則的な音が徐々にゆっくりとしていき、独特の煙臭い空気が漂う。関西からやって来た、特急列車の最終便だ。
上京してきた者たちを最後に見て帰ろう、と駅舎の前でぼうっと立っていると、駅舎から大勢の人が吐き出される。一様に疲れた表情をしていた。10時間以上にわたる旅だったのだ、当然だろう。
よし、それでは本当に帰ろう、と踵を返そうとしたときだった。
「あの、すいません、」
突然、背後から声をかけられた。少し訛った感じがするのは気のせいではない。今日話した友人が金沢出身だったから、少し似ていたのだ。
「なんでしょう」
振り返って応答すると、そこにはやはり疲れた顔をした若い青年が立っていた。年齢は15歳の千秋よりは少し上の20歳くらいだろうが、体格がよく、身長は175センチを越えているのではないか。外国人にも見劣りしないだろう。
外国人を見慣れているからこそ、日本人でこれだけの体格の者を見たのは初めてだったため、少し面食らう。
「えっと、小生?は、あー、浜松町を目指しているので、ありまして?ええと、」
「…ぷっ、普通に喋りやすいように喋ってもらっていいですよ」
「あ、そうなん?じゃあ遠慮のう話させてもらいますえ」
「京の方ですか?」
「はい、今日初めて東京に来たんやけど、浜松町駅で降りよ思うたら止まらんかったんですわ。どないしたら行けるんやろか」
どうやら京出身らしい青年は、浜松町に行きたかったものの乗ったのが特急だったために止まらなかったようだ。道順を説明するのは面倒だし、何より人と話すのは嫌いではない千秋は、この青年とともに歩くことにした。どちらにしろ方向は同じだ。
「それだったら一緒に行きましょう。俺も同じく浜松町に向かうんで」
「ホンマですか?おおきに!俺は志摩柔造いいます、よろしゅう」
「俺は二宮千秋です。じゃあ、行きましょうか」
志摩柔造というらしい青年は、なんと千秋とまったく同じ15歳だった。
歩き始めてお互いのことを話すうちに、同い年と分かり、互いに敬語をやめる。
「志摩君はどうして東京に?」
「正十字中學校ってあるやろ、そこに入学することになったんや」
「…へぇ、だから浜松町目指してたのか」
「せやで」
正十字中學校、嫌というほど聞き覚えがある。何せ千秋は、そこ出身だ。
正確には、その正十字騎士團の祓魔塾に通っていた。そこで研鑽を重ねて、つい前月に祓魔師になったばかりだ。
祓魔師は、正十字騎士團が悪魔と定める人外存在を祓うための組織で、まだ日本では十分に受け入れられていない。
それこそ、柔造が属しているという明陀宗が昔から日本では有力だった。
「でも、志摩君は明陀宗でしょ?正十字中學校は基督教学校だよ?」
「あー、まぁ、色々あんねん」
理由を訊ねてはみたが、曖昧にぼかされてしまった。まぁ、会ったばかりであるし、そういうものだろう。
「二宮君は何してはるん?」
「海岸の工場で働いてるよ」
咄嗟に、千秋は嘘をついた。明陀宗である柔造相手に、いきなり正十字騎士團だとカミングアウトするのは憚られた。ただでさえ日本人で正十字騎士團に加盟しているのは裏切りだと思われるのだ、ここは穏便に済ませたい。
それに、正十字中學校がある金杉新浜町は、学校のすぐ隣に芝浦製作所という工場がある。職場はかなり裏方だから学生には見えないため、まずバレない。
そうやって切り抜けると、話は違う方向へ向かっていき、夜の街を穏やかに歩けるようなものになっていった。