夏ノ日ヲ想フ−3


ひょんな出会いがどう転ぶか分からないとはよく言われていたことで、柔造もそんなものなのだろう、とは思っていたが、これはまさにそんな出会いだったのではないかと思う。

東京に着いて早々、降りる予定だった浜松町駅に汽車が止まらないというアクシデントに見舞われ、豪華絢爛な駅舎を出て途方にくれてしまった。丸の内口からの景色は、赤煉瓦の東京会館、白く壮大な装飾がされた帝国劇場、やはり赤煉瓦の警視庁と鮮やかな建物が並ぶ。その向こうには丸の内のオフィス街があり、7、8階建てのビルは当たり前に並んでいた。京では少ししか目にしなかった煉瓦の洋風な建物が建ち並ぶ東京駅前の光景に、とんでもないところに来てしまったものだと不安にならざるを得なかった。
そこで年齢が近そうな少年がいたものだから、つい声をかけたわけだが、同い年のその少年、二宮千秋は浜松町まで案内してくれた。

さらに、話すうちに好きな本の話で盛り上がり、やれ「白樺はばからし〜」、「虞美人草は結局のところ〜」など文学の論議に花が咲いた。

そして最も驚いたのは、なんと千秋が柔造が入居する寄宿舎において隣の部屋だったということだ。浜松町3丁目の、第一京浜道路と東海道線とを繋ぐ道に面した大きな建物で、隣の部屋だと分かったときには夜分にも関わらず大笑いしたものだ。


そんな2人だったため、仲良くなるのに時間はかからなかった。不馴れな柔造に様々なことを教えてくれたり、東京を案内してくれたりと千秋には世話になった。
四畳半の手狭な部屋は、それでも柔造にとっては大事な城だったが、大抵金曜には千秋を呼んで駄弁っていたためしょっちゅう千秋がいた。

だからだろうか、どんどんと柔造の千秋に対するパーソナルスペースは狭くなっていって、ふとしたときにドキリとするようになったのは。
初めてのことばかりの柔造には、些か持て余し気味の感情だった。


***


その年の夏、日曜日の猛烈な暑さに辟易としながらも、2人は柔造の部屋でダラダラとしていた。柔造は今しがた課題を終えて、仰向けになって開け放した窓の外に見える煙突の黒煙を眺める。団扇など役に立つような暑さではなく、畳につけた背中にじわりと汗が広がりそうだった。
それに耐えがたくなって起き上がると、どうやら寝ていたらしい千秋も目を擦りながら起き上がった。


「寝てたんか」

「んー…」


寝ぼけているのか、生返事しか反ってこない。つい癖でその頭をくしゃくしゃとなで回すと、千秋はぽす、と柔造の肩に頭を凭れさせた。
男が何を、と普通は思うところなのだが、不思議と不快な感じはなく、むしろ可愛らしいとすら思えてしまう。


「眠いんならちゃんと自分の部屋で寝えや」

「……兄さん、」

「…千秋?」


すると、ぼんやりとした千秋が不明瞭ながらそう呟いた。聞き返すと、ようやく千秋は意識をはっきりさせ始め、伸びをして離れる。


「んぁ〜、寝た寝た」

「千秋、お兄はんおるんか」


実は、柔造はあまり千秋の家族の話を聞いたことがなかった。柔造の家族や明陀宗の話はしてしまうのだが、千秋は自分のことを話すのを避けているようで、話を振って来なかったのだ。


「あー…ひょっとして声に出てた?」

「おん、兄さん、て」

「志摩ってさ、似てるんだよ」

「そうなん?いくつくらいなん?」


大人っぽいと言われることが多い柔造は、兄貴らしいと評される。だから何とはなしに聞いたのだが、千秋はどこか儚げ薄く笑った。


「…生きていれば、今年で25だった」

「生きていれば、って……」


千秋は苦笑して、窓の外を見遣る。煙突からは相変わらず黒煙が吐き出されている。


「大正六年の大津波でね、俺の両親と兄さん、家族みんな亡くなったんだ」


1917年9月、静岡から関東、東北、北海道と縦断した巨大台風による、東京府の大規模な高潮被害のことだ。10歳の頃だったとはいえ、それなりに記憶に残っている。日本全国が大騒ぎだったのだ。
千秋は当時、東京市本所区で暮らしており、高潮によって家ごと家族を失ったらしい。それ以来孤児となり、今に至る。
あれから5年が経つが、それが昔か最近かは個人によって大きく差が出るところだろう。


「だからさ、志摩といると、たまに懐かしい気持ちになるんだよね。…安心する、っていうか」


誤魔化すように苦笑する千秋はやはり儚げで、柔造は思わず千秋を抱き締めた。


「っ、志摩…?」

「…弟2人おるさかい、今さら増えても変わらんよ」

「……同い年だろ」


そう言いつつも、千秋は逆らわずに柔造の腕の中に留まった。
それは、物理的にも心理的にも距離が近くなったことを表す出来事なのかもしれなかった。


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