夏ノ日ヲ想フ−5


1923年9月1日。
その日は土曜だったため塾もなく、柔造はひとり自室で物思いに耽っていた。いつも土曜は千秋が"仕事"だったためいなかったが、ここ1週間はまったく会っていない。その仕事は近くの製造工場でのものだと聞いていたのだが、先週それが嘘であり、実は正十字騎士團の祓魔師だったと知った。それも、祓魔塾の講師になったことで。

あのあと、柔造は廊下で千秋と大喧嘩した。喧嘩というか、柔造が一方的に怒っただけか。
なぜ教えてくれなかったのかと責めると、千秋はただ曖昧に謝るだけで、理由を言わなかった。柔造が明陀宗であることも、正十字中學校の祓魔塾に通っていることも、千秋は当然のように知っていることだった。

だから、裏切られたような気がしたのだ。一言、言ってくれればいいものを、黙って柔造が明陀宗であることや塾に通っていることを聞いていたのだ。何でも話す仲だと思っていただけに、手酷い裏切りのように感じられた。

落ち着いてみればいったいなぜ、が頭のなかでぐるぐると回り、いったいどうすればいいのか、と思い悩んだ。


「……アカン、だめや。新聞読も」


柔造はこのまま考えていても埒が明かないと、とりあえず新聞の朝刊を読むことにした。
『颱風、午後にも石川縣に』という見出しにある通り、台風が列島を横切り能登半島付近に近づいているらしかった。そのため、今日は朝からずっと風が強く、暑いのに窓を開けていられなかった。
新聞に目を通しても、やはり頭には千秋のことがちらついてしまう。


「…っあぁーもうアカン!!出掛けよ…」


今日はもう何も手につかない。それなら割り切って出掛けてしまおうと、柔造はスラックスに白い半袖のシャツに帽子という夏服の制服に着替え、父にもらった懐中電灯で時間を確認する。


「10時半…浅草で観劇して飯食うか」


当然、そう呟いても応える声はない。独り言に終わってしまったことに何とも言えない気持ちになるが、振りきって外に出た。


***


浅草六区の常磐座で最新の劇を見てから、仲見世で今川焼きを買って歓楽街の一歩外にある浅草公園の緑地に寄り、ベンチに座って一気に食べきった。
周りには親子連れや学生など様々な人々で賑わい、六区や四区からの喧騒も聞こえてきていた。平和な残暑の昼下がりなのだが、柔造はそんな爽やかな光景から乖離した内心だった。
そんな自分にため息をついて、懐中時計を見たときだった。


「もう3分ないくらいで12時か……ん?」


座ったベンチから伝わる微かな震動。まるで近くを汽車が通るときのようだが、この近くに汽車は通っていない。公園なのだ、自動車や赤電車もない。
それなのにだんだんとそれは大きくなり始め、他のベンチに座る親子や老婆も顔を上げて訝しむ。

その次の瞬間、突然地面が大きく跳ね上がった。ベンチが吹き飛んだかのような衝撃に思わずバランスを崩し、ベンチの背に慌てて掴まる。
衝撃とともに一斉に悲鳴が上がり、歩いていた人々もしゃがみこんだ。街灯や木々が軋み、そして地面が大きく横に揺れ始める。


「っ!、地震か…っ!?」

「きゃぁあっ!!」

「伏せて!!」

「うわっ、どけこら!!」


地面が1メートル近く横に揺れ動いているように感じる。折り重なるようにして倒れる人々の悲鳴が公園に響いた。
さらに、六区のコジャレた建物のいくつかがぐしゃりと一階部分が潰れたり、外壁が崩れ落ちたり、建物の内部だけが崩落したりと一斉に轟音とともに崩れ始めた。ゆっくりと一階を押し潰しなから傾いていく三階建てのビルや、隣の建物に寄りかかるようにして傾くビルなど、その動きはあまりにも非現実的で。


「十二階が…っ!!」


そんな悲鳴とともに視線を動かすと、日本で最も高い高層ビルである凌雲閣の8階より上の部分が、建物の内側に沈むようにして崩れ落ちていき、内部をくり貫くように破壊しながら崩落した。 立ち上る砂埃に愕然とする。

さらに揺れが収まったと思った瞬間にもう一度大きな揺れが起こり、辛うじて残っていた六区のビルもほとんどが倒壊していった。むしろ、昔からある木造の住宅の方がきちんと残っていた。


「いったい、なんや、これは……」


半世紀をかけて築き上げてきた帝都が、ほんの1分足らずで瓦解していく光景は、思考を停止させるのには十分だった。



1923年9月1日11時58分、関東大震災。
神奈川県西部から房総半島南端部までを震源域とする、直下型のプレート境界地震という世界にも類を見ない地震である。
断層破壊は3ヶ所、神奈川県西部、東京湾南部、房総半島南端部であり、鎌倉市などところによっては10分にわたって震度7相当の揺れが続いた。


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