夏ノ日ヲ想フ−7


千秋は引き攣るような足の痛みに目を覚ました。うっすらと目を開けると、まず亀裂の入った石畳。正十字中學校に隣接する正十字騎士團日本支部の事務所の床だ。
続いて視線を上げると、折り重なるようにして散らばる赤煉瓦。ほとんどが砕けていた。合間に木や金属の柱や棒、窓枠が突き出ている。ステンドグラスのカラフルな破片も見えた。
さらに頑張って顔を上げると、伝達事項などを記載していた黒板が壁ごと外れて傾いている。その上側に残っているものは、何もない。夕暮れが近い空の薄いオレンジと、空に立ち上る無数の黒煙だけが見えていた。

どうやら、日本支部の事務所は完全に崩壊し、天井がなくなっているらしい。そして、恐らく千秋はその瓦礫の下敷きとなっている。
腰から下が煉瓦に挟まれていて、上体の身動きはきく。打撲や切り傷はたくさんあるが、折れているところはなさそうだ。
下半身も、天井そのものは崩れ落ちた梁が支えており、壁や柱の瓦礫が乗っているようだった。足の感覚はないものの、折れてはいないはずだ。

大きな地震とともに目の前が真っ暗になり、強い衝撃が頭から全身を襲ったところまでは覚えている。ぬるりとした顔の感覚は、頭から流れる血か。
辺りには時おり怒号が響くくらいで、動ける者は避難したらしい。死体と間違われてしまったようだ。

市街地からはカンカンという火災を知らせる消防の警報音が遠く聞こえてくる。帝都全域が被災したようで、街の空気が混乱に包まれているのが分かった。


「天罰、かなぁ…」


思わず、この状況にそう呟く。埃にイガイガとした感覚があった。
天罰、とは、もちろん柔造に祓魔師であることを黙っていたことに対してだ。騙すような真似をしたのだ、神に罰を下されて当然である。


すると、少し離れたところで泣き声が聞こえてきた。幼い子供のようで、啜り泣いている。


「…っ、おい、誰か、いるのか…?」

「っ!だれ、ですか…?」

「正十字騎士團の祓魔師、二宮千秋っていうんだ。君は?」

「…誠太郎」


どうやら、事務所の隣にある孤児院の子供のようだ。そちらも見たところ全壊している。取り残されたのは千秋だけでなかったらしい。ギリギリ、瓦礫の隙間から少年の姿が見えた。千秋の上にあるものと同じ梁によって、天井に押し潰されるのを免れていた。


「誠太郎君!こっちだ!」

「…っ、ふぇ、お、お兄ちゃん、痛いよぉ…助けて…!」

「っ、悪い、兄ちゃんも動けないんだ…大丈夫、怖くないよ」

「ほんと…?」

「ほんと。死ぬときは俺も一緒だし、主の元に召されるだけだ。だから、怖いことなんてないよ。…そうだ、歌を歌おう」


千秋はそう言うと、シャツの下から十字架のネックレスを取りだし、右手に握り締める。そして、バッハのコラール147番第10曲を口ずさんだ。


「Jesus bleibet meine Freude, Meines Herzens Trost und Saft, Jesus wehret allem Leide」

「けほっ…どういう、意味?」

「イエスは変わらざる私の歓び、私の心の慰めであり潤い。イエスはすべての悲しみから…守ってくださる…」


死は悲しいことではない。そう教えられてきた。神を信じていれば、救済されるのだと。

しかし、心に浮かぶのはただひとり。

せめて、最後に謝りたい。最期に、本当のことを告げたかった。命を終えるときくらい、初めてできた大切な人に、想いを伝えたかった。


「柔、造…!」


誠太郎という子供に諭しておきながら、瓦礫の山と黒煙の立ち上る空の下で人生を終えることの恐怖が沸き上がる。これが天罰なのであれば、せめて一目見るだけでもいいから、と十字架を握り締めたときだった。


「…千秋っ!!おるか、千秋!!おったら返事せぇ!!」


その力強い声は、まさに望んだ人の声で。
一瞬信じられなくて幻聴かと疑ったが、強い風にも負けない声は何度も自分の名前を呼んでいた。


いいのだろうか。声を上げて。自分なんかが、また柔造に言葉をかけて。

迷ったのは、一瞬だった。



「―――柔造っ!!」


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