夏ノ日ヲ想フ−8
広大な赤煉瓦の瓦礫の山となった正十字中學校に、柔造は絶句する。あちらこちらに遺体が挟まっていた。
中學校の校舎を回り込むようにして、普段は立ち入りを禁じられていた正十字騎士團の日本支部に向かう。事務所は、隣接する正十字騎士團の孤児院ごと崩壊し、残っていなかった。
地震発生時に千秋はここにいたはずだ。
一体どこに、と辺りを見渡すと、海から吹きすさぶ風に乗って歌声が聞こえてきた。基督教関係者ならみんなが知っている有名なコラール。その歌声は、聞きなれた声だった。
「千秋っ!!おるか!!おったら返事せぇ!!」
逃してたまるか、と柔造は叫ぶ。何度もその名を叫んだ。すると、その声がはっきりと、名前を呼んだ。
「柔造っ!!」
聞いた瞬間に柔造は走り出した。 瓦礫を掻き分け、転びそうになりながらも廃墟の中を進んでいく。
そして、天井が微妙なバランスで梁に引っ掛かった瓦礫の下に千秋がいるのを見付けた。その見慣れた姿が、頭から血を流して埃にまみれているのを見て息を飲む。
「大丈夫かっ!!」
「柔造…良かった、無事だったんだな…」
「千秋こそ…今どけたる、」
柔造はすぐに瓦礫を除こうとしたが、手をかけた途端、梁がギシリと鳴った。天井がパラパラと砂利を落とす。
「…待って、柔造。多分、瓦礫を抜いたら梁が崩れる」
「せやけど、すぐ引きずり出せば間に合うで」
「…それなら、あの子を頼む」
千秋が指す方を見ると、孤児院の区画に少年が同じ梁の下で下敷きになっていた。千秋を助けるために瓦礫を退ければ、梁ごと天井があの子を押し潰すだろう。
それは、逆もしかり。
「……んな、千秋を見殺しにするんか…」
「あの子を見殺しにするわけにはいかない。俺よりも、優先するべきだって、分かるだろ」
「…っ、せやけど!!」
「柔造!」
千秋の鋭い声が遮る。その目は、まっすぐ柔造を貫いていた。
「子供は、この国の未来そのものだ。何よりの宝物なんだよ」
「…俺にとっては、お前が、一番大切なやつや」
そう言うと、千秋は目を見開いた。当然だ、突然の告白紛いの言葉。
柔造にとっても、今言葉に出して気付いた。自身の千秋に対する気持ちに。
「好きなんや…千秋」
「なん、で…だって、俺…お前のこと…」
「もうええねん。地震が起きて、すぐに浮かんだのは千秋の顔やった。理由なんてどうでもええ。守りたいって、思ったんや」
考える意味などなかったのだ。千秋はどんなやつだろうと、柔造にとってはなくてはならない存在で。何者にも変えがたい人だったのだ。
千秋はぽろ、と目から涙をひとつ零した。それを拭うためにしゃがみ、その頬に手を添えると、千秋も手を重ねる。
「…俺は、前に話した大正六年の大津波のあと、ここの孤児院で育った。そんで、正十字中學校と塾に通って、祓魔師になった。身寄りのない俺には、これしかなかったんだ」
そして千秋が唐突に語り始めたのは、教えてくれなかった祓魔師になった経緯。それは、まったく千秋を責める余地のないものだった。
「ほんとは、柔造とこんな仲良くなると思ってなかったから、正体を明かさなかった。でも、一緒にいるうちにどんどん存在が大きくなって…独り身の俺にとって、家族や守るべき明陀宗がある柔造に依存することはダメだって分かってたのに、もう、戻れなかった。そして、言ったら関係が壊れるって…そうなったら、俺自身が壊れるって、思ったんだ」
「それって…まさか、」
「うん。好きだよ、俺も。許されないことなのに、抑えられなかった」
柔造はあんまりだと思った。こんな些細なスレ違い、いや、柔造の一方的な癇癪で、同じ想いを通わせていたのに、こんなことになってしまった。
「騙しててごめん、柔造。好きだよ。…だから、幸せになって」
「っ、なに言うとんねん…!!死なせへんぞ、やからお前も死ぬな…!!」
「だめだよ。人を呼んだって、こんな大きな梁、専用の工具がないと。もう、火の手が有楽町の辺りまで来てるから、未明には浜松町も炎に飲まれる。それまでには間に合わない」
それは柔造にも分かっていた。分かっていて無視しようとしたが、千秋はそれを許してはくれなかった。子供の体力も危うい。選択の余地はないのだ。
「…くそっ!!」
怒りに任せて地面を殴ると、ガラスの破片が刺さり鋭い痛みが走る。そんなもの、と血のついたガラス片を、大量の紙が散らばった地面に投げ捨てた。