2進数のアイ−7


それから1ヶ月が経った頃、事態は急変した。

柔造はOSMで開かれた緊急会議に参加することになった。会議にはOSMの代表者の他、開発に関わった企業の代表者とAI庁の役人、総理官邸の秘書官もいた。全員顔が強張っているが、柔造ほどではないだろう。
なぜなら、今日の議題は分かりきっていたからだ。



最近、SAIASのパフォーマンスが著しく低下している。度々システムトラブルが発生し、宅配の遅延や列車ダイヤの乱れ、通信障害なども起きている。国民からの不満の声も高まり、メディアは国を批判し、野党は国会で追求を始めた。


「さて、議題は分かっていることと思いますが…」


議長を勤めるOSMの理事長は、コントロールルームの室長に目配せをする。室長はちらりと柔造を見てから口を開いた。


「近頃のSAIASの不調、これは恐らく"例の"生体端末から発生したバグによるものだと思われます」


ぼかしているが、非合法的な実験である千秋のことだ。周りの目も一斉に柔造へと向く。


「…まさか、AIが恋患いで故障とは…ジョークにしては、経済的損失額3500億円は高額過ぎるんじゃあないか?」


AI庁の官僚が言えば、役人側から笑いが漏れる。しかし企業側からすれば笑い話ではない。自分たちの首がかかっているからだ。特に、柔造の属する三葉電機はそうだ。上司の顔は青ざめている。


「なに、対応はすぐですよ。なぁ、志摩君」


室長に言われ、解決策を言うよう求められているのだと察する。これはすでに社内で話し合っていたため、すぐに柔造は説明を始めた。


「今回の事案はエマージェンシープログラムB付属書1Aに相当するものと思われます。よって、甲府のバックアッププログラムを起動し、3日以内に本体から例のプログラムをアンインストールします」

「バックアップへの移行プロトコルが完了するまで60時間を要するので、移行3日目のバックアップ終了と同時にアンインストールを開始します」


上司が言葉を継げば、室長は首肯く。同じ考えだったようだ。恐らく、この場にいる誰もがわかっていた。この会議は、形式的に開いて全員の許可をまとめて取るためのものだったのだろう。


「OSMとしてはそのプランでいいと思います」

「AI庁も同意します」


役人から許可が降り、他の企業も同意して協力チームを編成することになる。清清しいほどに、なんの障害もない。
千秋の人格の削除など、ここにいる誰にとっても然したる問題ではないのだ。


***


翌日、正式にバックアップへの移行プロトコルが開始された。膨大な業務をバックアップに移行するのには、その業務を維持して社会が混乱しないようにしながらである必要があるため、時間がかかるのだ。

それにあたり、千秋からOSMに対して柔造との面会要求があった。そもそもAIが人間に対してなにかを要求すること自体が初めてのことで、より一層警戒感が高まった。

室長に呼び出された柔造は、広い室長室でその件を聞いて戸惑った。本当は、会ってしまえばこのプランを止めたくなってしまうから嫌だったのだ。
現実的に社会は混乱を始めていて、国家という巨大な組織が柔造の個人的な気持ちなど測るわけもない。拒否権などないのだ。だから、会って気持ちをぐらつかせたくなかった。


「まったく、AIから要求があるとはねぇ」

「…、」

「いや、責めてるわけではないんだ。君にプログラミングを指示したのは我々だからね」


室長は苦笑しながら、こちらを愉快そうに見上げる。


「…さて、今からちょうど70年前。我々が直面していることと同じようなことを予想した小説が出版された」

「…『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ですか」

「そう、その通り」


1968年にアメリカで出版されたSF小説だ。祖父が青春時代に出会い、この道を選ぶきっかけになった本でもある。
第三次世界大戦終結後、AIは究極に進化し、AI自身が自分がアンドロイドであることを知らないほどに人間と区別がつかなくなった世界が舞台だ。
そこで主人公のリックは、脱走したアンドロイドを人間と区別し発見、処理することで生計を立てる賞金稼ぎをしていた。しかしリックはそのうち、あまりに人間そっくりなAIを見るうちに「人間とAIの違いはなんだ?」という疑問にぶつかるのだ。


「これまで、AIに自我はなかった。もちろん、どの国のAIも便宜的に主格を用いて喋った。『私は〜』『I〜』という風にな。しかし、プランセブンはそれを超えた」


これまでも言葉として主語を用いてきたAI。SAIASも同様に単なる表現として主語を使ったが、今は違う。
同じ"I"でも、"I require you to let me see him."というメッセージの"I"は明確に自我を持っていた。このメッセージは、これを通して柔造との面会を要求してきた千秋の自我そのものなのだ。


「プランセブンは自我を持ち、君への愛を抱いた。そんな"彼"は、果たして人間か?AIか?…君の答えを、ぜひとも後で聞かせてくれ。まずは、面会の時間を明日にでも設けよう」


生きた体で、自我を持ったAIと連動して動き、そして何より愛を知った千秋。人間なのか、そうでないのか。そんな明確な線を引けるような段階ではない。柔造は答えられないまま、部屋を後にした。


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