君はヒーロー−6
20階まで通常階段で上がると、すでに煙がうっすらと立ち込め、焦げ臭いにおいがしていた。避難階段からでは延焼範囲が分からない上、迂闊に開ければ火傷するため、通常階段で来て正解だった。
通常階段には扉などはないため、炎が来ていないことは分かる。
「このまま上がれるな…谷口、マスクは大丈夫だな。消火栓でレストランのホールを鎮火しながら、生存者がいるか声をかけるんだ」
「わ、分かりました、千秋さんは…?」
「延焼範囲の確認をしながら、バックヤードに行く」
「えっ、そっちには第2厨房が…」
谷口の方が危険に見えて、実はバックヤードの方がリスクが高い。2つある厨房の片方にギリギリまで近付くためだ。
しかし、バックヤードには恐らく、荒木がいたはずだ。取りに行ったジョージアのワインは専用バックヤードの最奥に近いこともあり、逃げ出せていない可能性がある。
「深追いはするなよ」
「二宮さんも気をつけて」
もう一度谷口の肩を軽く叩き、千秋は奥へと向かう。どうやら爆発は第1厨房だったようで、第2の方からは火は出ていない。しかし、煙がひどく立ち込めていた。
不明瞭な視界の中、歩き慣れた廊下をバックヤードに向かう。すると、爆発の衝撃で吹き飛んだ壁の瓦礫の向こうに、ドミノ倒しのようになったワインセラーの棚が見えた。
「ちっ……荒木さん!いる!?」
「…っ、けほっ、チー、フ…!」
すると、奥からか細く声が返ってきた。やはり巻き込まれていたらしい。棚そのものは何とか起き上がらせられる、少しずつ棚をどかしながら奥へと進んだ。
「今助ける!」
「あ…がと…ござ…けほっ、」
とにかく煙がひどい。早くマスクをつけてやらなければ。
千秋は棚の下敷きになった荒木を見つけ、棚を起こす。何とか起き上がれるようで、手を引っ張って立ち上がらせた。
「これつけて」
「は、い…」
千秋は自分がつけていたマスクを外して荒木につけさせると、ハンカチで口元を塞ぐ。そして、2人で屈んで低い姿勢で歩き始めた。なるべく煙を吸わないためだ。
「二宮さん!」
廊下をレストランの入り口まで向かうと、炎がとてつもない勢いになって廊下に噴き出していた。その手前で、消火栓のホースを懸命に振り回す谷口。
後ろには何人かの生存者がいた。何とか運んだらしい。
谷口が庇っているのは、妊娠6か月くらいの女性とその子供らしい小学6年くらいの男児、そして先ほど通話していた山田だ。全員は息はあるようだが、山田は意識を失っていた。
レストランを見ると、炎が天井を伝って部屋中を炎に包んでいる。
「いきなり勢いが!!」
「天井に延焼すると勢いが急に増すんだ!ここまでなったら消火栓じゃ無理だ、すぐ逃げるぞ!!」
谷口はホースを抱えて水を吹き掛けながら、先導して廊下を進む。もと来た道は激しい炎で進めず、別の廊下だ。
千秋は山田を抱え、荒木を支えて妊婦と子供を連れる。上でも下でもまずは附室へ行かなければならない。特別避難階段へ向かうと、微かに屋上からモーター音が聞こえてきた。
「レスキューだ…屋上から来てるな、もうすぐ助かる」
怪我をしている客たちを助けるには、上に行かなければならない。特別避難階段まで、途中から背後に火の手が回る格好になると谷口が後ろにつく。
もう少し、もう少し、そう言い聞かせていたときだった。
突然、第2厨房の方から爆発音が轟いた。耳が一瞬聞こえなくなった瞬間、爆風によろめき、上からパラパラと小さな破片が降り注いだ。ついに第2厨房も爆発したらしい。
急いで別の階へ行こうと附室の扉に手をかけるが、ノブを捻っても扉が開かない。押しても引いても、びくともしなかった。
「…、まさか、」
少し離れてよく見てみると、扉が歪んでいた。爆発の衝撃で、防火扉が歪んで開かなくなっていたのだ。しかも、全方向の廊下が火に包まれている。ここしかない。
「げほっ、げほっ、くそっ!!」
この向こうは安全な空間だというのに、もどかしさで思わず扉を殴り付けた。痛みとともに、肺に黒煙が入り咳き込む。
「チーフ…?」
「…扉が歪んで開かない。もうすぐに助けが来る、それまで、あと少しだけ耐えるんだ」
絶望の声を出してはいけないと、荒木も谷口も、妊婦や子供も感じたのだろう。無言で頷いた。
しかし、言葉通りすぐに助けはやって来た。
扉のノブが、回されたのだ。当然開かないが、向こうからは男たちの声がする。