救いの祈り−3
ルーイン・ライトは、扉を開けた先の光景に、珍しく顔をしかめてしまった。埃っぽいそこは、無人の空間。
職務を放棄した、正十字騎士團レバノン支部である。
これは我らが団長に耐えられるか、と 横に立つ長いブロンドの髪の男をちらりと見るが、変わった様子はない。
「呆れたな。もぬけの殻じゃないか」
「大丈夫かい?アーサー。こんな埃っぽいところ」
「ふん、お前の部屋よりはマシだろう、ライトニング」
「あはは、間違いない」
弱冠23歳にしてこの貫禄、さすがは将来の聖騎士候補とされるだけある。
アーサー・A・エンジェル、ヴァチカン本部の上一級祓魔師だ。
最近すっかり定着してしまったライトニングという名前は、ルーインが召喚と儀式に関して達人と言われることから呼ばれるようになったはずだが、この年下の男からはそんな敬意は伝わらない。それがおもしろいのだが。
「仕事だ、致し方ない。さて、行こうか皆。聖天使團にかかれば、無政府状態の小国で支部ひとつ分の役割など簡単に果たせる」
「その名前聞くのもだいぶ慣れてきたよ」
「そうか、それは良かった。自覚を持つのは大事だからな!」
やっぱり、面白い。
***
聖天使團なる騎士團の組織にルーインが入って1年近くになる。というか、アーサーとルーインを核に作られた組織といったほうが正しい。
この1年でアーサーが認めた祓魔師はたった3人。計5人だけではあるが、全員上一級の祓魔師だ。
ルーインはアメリカ支部所属で、アーサーに誘われて面白そうだからと聖天使團を始めた。ネーミングはもちろんアーサーで、この名前であることは加盟を少し後悔させている。
そんな聖天使團が今回任務としてヴァチカンから与えられた仕事は、機能を失ったレバノン支部に代わって、レバノンに発生している強力な悪魔の退治だ。
やはり悪魔は人の弱さにつけこむ。戦争は悪魔が活発化するのにとても適した状況だった。
そんな中でレバノン支部は、イスラエルによる全土への空爆開始とともにほとんどの祓魔師が避難した。
そもそも1975年に内戦が始まってから、秩序が回復する2000年までの25年間、レバノン支部は閉鎖していた。やっと2000年に再構築され、現地の祓魔師養成のために各国から祓魔師が派遣され、2002年から支部が再開されたばかりだったのだ。まだまだ支部の円滑な運営には遠かった状態で再び紛争が発生したため、祓魔師たちはトルコやエジプトに避難してしまった。
空爆や海上戦艦からのミサイル攻撃が起きている中で、上級悪魔と戦える実力を持つのは聖天使團くらい。そこで、ルーインたちは停戦までの間、上級悪魔の掃討を命じられたのである。
すでに8月中旬までには停戦するだろうという観測が出ていたため、2週間ほどの滞在になりそうだ。
そうして、順調にベイルートからシドン、ティルス、スールなどの都市で上級悪魔を狩って行った。やがて激戦地の南部では、悪魔よりも空爆から身を守る方が大変ななかでの戦いとなった。
そしてついに、クラスター爆弾の不発弾によって、アーサーが負傷した。ルーインが咄嗟に使役する悪魔に守らせたが、全治1週間ほどの怪我を負わせてしまった。他の3人も軽傷だ。
「ライトニングが気にすることじゃないぞ。俺の不注意だ」
「僕の不注意でもある。だからあの悪魔は僕が探して来るよ」
「一人でか!?」
「探すだけさ」
ベッドに横たわるアーサーや他の3人も心配そうにするが、ルーインは苦笑を返す。本当に探すだけだ。
現地の兵士たちが、「人間じゃない、あいつはバケモンだ」と言っていたやつがいて、もしかしたら悪魔かもしれないため、探しに行くことになっていた。
アーサーたちを諌めて、ルーインは早速、瓦礫の山となった町へ向かう。情報が正しければ、ここに一人で一部隊ほどの力を持つ傭兵がいるらしい。
骨格だけを残して崩落した建物が並び、地面を瓦礫が埋め尽くす灰色の町を歩いていると、道路の真ん中にぽつりと立つ人影があった。住民は皆避難しているらしいし、その姿はどう見ても子供だ。高校生くらいだろうか。
フリーの傭兵らしい兵服に身を包むその姿は、随分と小綺麗だ。植民地時代のフランス人の系統なのか、多民族の中東といえど珍しいプラチナブロンドの髪に、翡翠色の瞳だった。顔立ちも綺麗だが、何よりその目が美しかった。
そして直観する。この少年が、兵士たちが言っていた『バケモン』だ。悪魔の気配はまったくない。単純に強い、それだけだろう。その体から揺るぎない警戒が出ていて、それだけでその強さを物語っていた。
少年は手にロザリオのようなものを持ち、目を閉じて何かを呟いている。東方教会やカトリックに独特なスタイルだ。ずっと呟いている辺りは東方教会らしい。あれは神への祈りだ。こと戦場であることもあり、その姿は息をついてしまいそうなほど美しかった。