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「で、でも、一ノ瀬君が可哀想だよ…!」
さすがのしえみ、まさに天使だと朝祇は感動する。
「何言ってんだしえみ!ちょっとしたハンデだよ!」
「あ、そっか」
「おい」
なんだこいつチョロすぎだろ、と朝祇は一瞬前の考えを捨てた。無常すぎる。
「よし、俺と奥村と志摩で一ノ瀬押さえるで!他は水汲みに行くんや!」
勝呂は指示するとすぐに出雲や子猫丸が駆けていく。しえみは少し迷うそぶりを見せながらも、それについていった。
残ったのは体格の良い3人。普通に組みかかられれば勝ち目はない。
もし水鉄砲を奪われたらと思うと、まだ角端を宿すわけにはいかなかった。
「堪忍な、朝祇。俺かて迷ったんやで?」
「即決のくせによく言うよ」
無言だった廉造は、やはり向こう側についたようだ。ニヤリとする勝呂、燐とともににじり寄ってくる。
「よし行け!」
「っ!!」
そして勝呂の掛け声とともに、一気に3人は距離を詰めてきた。さすがに燐が速い。避ける暇もなく、抱き着かれるようにして抑え込まれ、ついで勝呂と廉造にも地面に引き倒された。
熱い地面に触れる背中が不愉快だ。しかも男3人に押さえつけられている。暑くてたまらない。
「観念せぇ一ノ瀬!」
「悪いな!」
まずい、と冷静に考える。動けないまま水を汲んで戻ってきたやつらに撃たれて終わりである。
「…廉造」
そこで朝祇はやつらの瓦解を図ることにした。そもそも、朝祇を倒したあとに優勢に転じるのは子猫丸たちだ。水の入った水鉄砲を持っているのだから。
それに、しえみの緑男を使えば全員を拘束できる。朝祇は索冥を使えば簡単に逃れられるが、他はそうもいかないだろう。
「俺、廉造は、どんなときでも味方だと思ってた…」
「っ、朝祇…!」
落ち込んだように言えば、簡単に廉造は揺れる。「おい!」と勝呂が牽制するも、すでに廉造はこちらの術中だ。
「俺だけ、だったのかな…そう思ってたの。バカみたいだ…」
「ち、ちゃうねん!!俺はいつでも朝祇の味方や!!」
そう言うなり、廉造は勝呂と燐を思いきり押しのけ、朝祇を解放した。そして急いで朝祇を抱え起こすと2人から離れる。
「すいません坊!でも俺はやっぱ朝祇を裏切るなんてできひんのです!」
「そうやって俺らを裏切るんか!」
「…合従連衡、だな」
そんな様子を見て、朝祇は呟く。それを聞き取った廉造は、「なるほど」と同意した。
合従連衡。かつて古代中国において、巨大な秦に対して周りの小国がどのように立ち向かうか考えた政策のことである。
秦に服従するように一緒になって存続するか、ほかの国々で連合して秦に立ち向かうか。勝呂たちは後者を選んだ。
「坊、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、ですよ」
ドイツ帝国の宰相ビスマルクの名言だ。本当は「自分で失敗して学ぶより、他人の失敗を見て自分がそれを犯すのを避ける」という意味のドイツ語だが、体よく解釈されている言葉である。
そして廉造が意味しているのは、合従連衡の結末である。古代中国では、結局連合して秦と対立する道を選び、結果すべてが秦によって各個撃破され、始皇帝による統一に繋がった。
「廉造…食べ放題券と合わせて割り勘しような」
「朝祇とおれるなら何でもええよ」
ぎゅうと抱き着いて言うと、廉造も甘く囁く。
愕然とする勝呂たちに、朝祇は水鉄砲を向けた。
「冀うは玄冬が豪水」
角端が宿り、自然に水が装填された。にやりとするのは、今度はこちらだ。
「ちょ、待っ…!」
慌てる2人だが、もう遅い。本来の水鉄砲の容量を超えた大量の水をぶちまけてやれば、あっという間に2人のゼッケンは水に濡れた。
しかし今度は、廉造に思い切り水が吹きかけられる。
「なっ…!?」
「油断大敵ですよ志摩さん」
眼鏡をくい、と上げる子猫丸。その手に握られた水鉄砲から水滴が落ちる。
「こ、子猫さん…出雲ちゃんたちは…」
「志摩さんが裏切って、坊たちがやられてまうことは分っとったさかい…」
日差しによって眼鏡が光って見える。末恐ろしい子猫丸の言葉に、勝呂でさえも寒気を感じたようだった。第一、ここまで気配を消して接近したのだ。とんだ忍者である。
「じゃあ、一騎打ちだな」
「…それはどうかしら」
「っ!」
咄嗟に横へ避けると、朝祇がいた場所に水が撃ち込まれた。背後にいたのは出雲だ。
思わせぶりなことを言いながら、実際には子猫丸と出雲で結託していたのである。
飛び退って距離をとると、今度は足元から根っこが大量に生えてくる。しえみだ。
「くそ…!」
出雲の後ろから出てきたしえみの緑男が、地面を通して朝祇を拘束していた。
「一ノ瀬君を倒しても、奥村君や志摩さん、坊は強敵です。それなら、先に倒してまおって思ったんです」
「なかなかえげつないわね」
「ご、ごめんね!」
策士ぶりに驚く勝呂たち。朝祇は、黄龍に呼びかける。
(地中で切ってくれ)
『まったく、このような遊びで…』
なんだかんだ言いながら黄龍は地中で根っこを切断してくれた。おかげで拘束が外れ、朝祇は水鉄砲を構える。
「お前らまとめてーーー!」
しかし、安物の水鉄砲は、神格級の悪魔の力に耐えきれなかったらしい。
パン、とプラスティックが弾けたと思うと、空中から大量の水が大波となって辺りを覆った。
塾生たちの悲鳴が響いたと思うと、すぐに水は流れて地面を濡らして消える。憑依は解けて水鉄砲はプラスティックの破片と化した。
朝祇はもちろん、全員がびしょ濡れ。夏の強い日差しに照らされて、濡れた塾生たちの肌が光る。
「……まったく……」
そこに、ずっと見ていた雪男のため息交じりの声が落ちる。無言ながら傍にいたため、雪男も濡れてしまっていた。そして、離れたところにいる宝を指さした。
「勝者は、宝君です」
盛大な水浴びとなった訓練の勝者に男子たちの「えええええ」という悲鳴が上がるが、雪男の手に握られていた券も濡れて使い物にならなくなっていた。
本当に、ただの水遊びとなってしまったが、まあこんな夏の日も悪くないかもしれない、と朝祇は額に流れる水滴を拭った。