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その後、一行は鴨川に移動し、興味を示した燐が暑いからと川に入った。河原に降りて、勝呂と廉造も燐に続いて川に足首まで浸かり、水をかけあって遊び始める。出雲としえみ、子猫丸は座ってそれを眺めていた。
朝祇は雪男と立って遊ぶ3人を見ていた。
「一ノ瀬君は行かなくていいんですか?」
「俺は白いチノパンなんで、ちょっと汚れたくないんですよね」
「あぁ、それは確かにそうですね」
雪男と緩やかに話しながら、朝祇は水分不足を防ぐためにペットボトルの水を飲んだ。お茶か何かにすればよかったな、と、少し尿意を催して感じる。水はすぐにトイレに行きたくなってしまう。
「ちょっと、トイレ行ってきます」
「それは構いませんが…近くにありますか?」
「近くに公園があった気がするんで、そこに行きます」
一応、引率のような役割を買って出ている雪男にきちんと伝え、朝祇は付近の公園に向かう。確か公衆トイレがあったはずだ。あまりこのあたりは観光地ではないので、そう混んではいないはず。
河原を離れ、土手を上がって道路を渡る。少し歩いて、目的の公園に入った。
暑いな、とぼんやり思いながらなるべく木々の日陰を歩いてトイレに入ると、さっさと用を足して手を洗う。ふと顔を上げて鏡を見ると、後ろを人が通った。その顔に見覚えがあり、つい朝祇は「あ、」と小さく声を出してしまった。
それに相手も反応し、鏡越しに目が合う。
「っ!?お前…っ」
「…、久しぶり」
そいつはなんと、かつて朝祇をいじめていたグループの主犯だった。卒業間際は、高校進学に響くことを恐れてまったく関わってこようとはしなかった。
こちらを驚いて見たあと、その顔を凶悪に歪める。それに嫌な予感がして、振り向きもせず朝祇はトイレを去ろうと足を踏み出す。だが、それより早く腕を捕まれた。
「まあ待てや、一ノ瀬」
「…なに」
「随分久しぶりやなぁ…お綺麗な顔に入れ墨まで入れよって、それカラコンか?」
「っ!?これが見えるのか…!」
なんと、魔障であるはずの模様と虹彩の色が見えている。つまり、こいつは魔障を受けている。悪魔と関わりがあったのだ。
「高校中退して、今は塗装工や。それもこれも、全部お前のせいやで」
「何言って…関係ないだろ!」
「うるさいわ!へへ、あんときよりは、お前に対して、なんやイけそうな気ィするわ」
「お、前…!」
悪魔は人の心に住む。この心の闇が、悪魔に付け入れさせたのだ。正規の祓魔師ではない朝祇には、おいそれと祓うわけにはいかない。
「こっち来い!」
「ふざけ、!」
トイレの個室に連れ込まれ、口を塞がれる。相手は普通の人間、どう抵抗していいのか分からず逃げきれない。朝祇の力は、人間に使えば殺してしまいかねないものばかりだ。その一瞬の逡巡が、隙を生んだ。
個室に押し込まれると、すぐに武骨な手が朝祇の服の内側に入れられる。腹筋を撫でる手に、鳥肌が立った。
「相変わらず細いやつやなぁ…」
「離せっ、この、!」
耳元で囁かれ、そのまま耳たぶを舐められた。ぞわぞわと気持ち悪さが駆け上がり、すぐにでも腰のホルスターから銃を引き抜いて撃ち殺したくなる。
「一ノ瀬〜?」
「朝祇〜おる〜?」
そこへ、塾生たちの声が聞こえてきた。燐と廉造だ。「おらんのか」という勝呂の声もする。どうやら川に入った3人が足でも洗いに来たようだ。慌てて叫ぼうとすると口を塞がれる。扉はそもそも内側に開くため、ここから開けるのは難しい。そこで朝祇は、手をその扉に当てて黄龍に呼びかけた。
(扉を壊してくれ)
『遅い』
黄龍は待っていたようで、すぐに扉を粉々にしてみせた。木の扉だったため、干渉できたのだ。
突然粉砕され、床にチリとなって積もった扉に燐たちの驚く声が響く。急いで駆け寄って来た3人は、中で朝祇に後ろから抱き付く男の姿に目を見開いた。
一番早く動いたのは、廉造だった。すぐにこいつがかつていじめていたヤツだと気付いたようだ。廉造が男を掴んで、朝祇から引き離して床に引きずり倒す。
勝呂も顔を見て誰か分かったのか、怒りに顔を歪めた。燐が朝祇を支えに来てくれて、個室から出る。
「久しぶりやんなぁ…?」
「っ、まずい、あいつマジ切れや…!」」
勝呂は廉造を見て、怒りから焦りに変わった。廉造の目は据わっていて、朝祇も見たことがない本気の怒りに満ちていることが分かった。
「あんときは朝祇優先やったし?黄龍が教室ごと制裁したさかいなんもできひんかったけど…今日こそ殺したろうか?ちょうど悪魔に憑かれとるようやし」
「志摩、自重せえ!すぐ奥村先生に…」
「ほっといてください坊。こいつは殺しとかなて思てたんです」
勝呂の言葉も聞かない。燐は無言で察したのか、朝祇を廉造に方に押す。うなずくと、燐は携帯を持って外に向かう。雪男に連絡してくれるのだろう。
朝祇は廉造のところまで行くと、その背中に抱き付いた。
「そんな奴のために手を汚すとか、許さない」
「…朝祇、せやけど…」
「いいから。お願いだから、廉造…」
少し声が震えた。廉造が本気の殺気を放っていることが、ひとつ間違えば本当にこいつを殺してしまいそうで怖かった。そんなこと、廉造にしてほしくなかった。
渋々、といったように廉造は大きくをため息をつき、朝祇の手を引いてトイレを出る。勝呂も後に続くと、入れ替わりに雪男と燐が入っていった。雪男が処理してくれるのなら大丈夫だろう。
「…廉造、ありがと」
「礼言われるようなことしとらん。朝祇、今日はめっちゃ甘やかしたるからな」
「楽しみにしてるわ」
トイレから小さく悲鳴が聞こえた。燐がそれなりに痛めつけてくれたようだ。それだけで十分だ。兄弟には礼を言っておこう。
廉造に軽く抱きしめられる。それを、勝呂は今度は何も言わずに目をそらしてくれていた。