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柔造が騒ぎ声を聞いて、掃除もせずなにをと思ってやって来れば、明斗がボロボロと涙を溢して抱き着いてきた。物理的には軽い軽いものだったが、精神的に大きな衝撃となった。先月の誕生日で同様に涙を流す様を見たばかりということもあった。
鉄槌を下し、八百造がこの件だけでなく金髪のことや学園の成績のことなど話があると金造を連れ出すと、入れ替わりに虎子や厨房の料理人たちが入ってきた。柔造に抱き着いていた明斗は離れようとしたものの、柔造ががっちりとホールドして離さない。せっかく自分から抱き着いて来てくれたのだ、もったいない。
「あらあら、仲の良いこと」
「どうも、女将さん。ちなみに金造のバカには何を?」
「ああ、そうそう。皆さんへのお礼にいうことでお菓子を用意したんよ。それを明斗君と運んでもらお思っとったんやけど…金造君はどちら?」
「おとんに連れてかれました。…て明斗、ホンマは何があったん?」
さすがに明斗の言葉通りとは思わなかった。そんな大したことでもないだろう。金造はバカだが、絶対に明斗を傷付けるようなことはしない。
「それ、素麺だって聞かされて食べたら…」
「ん?これ葛切りやん」
「クズ…?」
「葛粉とかで作る麺や。冷やして餡蜜につけて食べるんが普通やな」
どうやら葛切りを素麺と偽るドッキリだったらしい。なかなか面白いが、明斗がまったく葛切りを知らないとは思わなかったのだろう。そうでなければトラウマになりかねないことはしない。
「あら、葛切り知らんかったん」
「そういうスイーツ?の類いはほとんど食べたことがなくて…そういう環境じゃなかったので」
考えてみれば、まさか明斗が生家でケーキなど食べさせてもらえたはずもなく、このような京都らしい上品なものも見たことすらないのかもしれなかった。志摩家に入ってからも食べたいと言ったことはないし、貧乏なのもあって、たまに廉造の誕生日で小さなケーキを出すくらいだった。
「まぁ、京都に暮らしておいてそれはアカンえ。落ち着いてもう一回食べてみい」
虎子に言われ、明斗はようやく柔造の腕から抜け出してテーブルに寄った。もう味のイメージはついているから、驚くことはないはずだ。
食べ方こそ素麺と変わらないが、箸で餡蜜に絡めて食べる。よく味わえば、とても美味しいと分かったようだ。
「美味しい、です…!」
実は、明斗が甘いものが好きなのかもしれないとは勘づいていた。
たまに食べる安いケーキですら幸せに感じているようだったし、今も目を輝かせている。
「せやったらこれは?」
虎子は母親的シックスセンスで明斗の心境を察しているようだ。料理人に指示し、これから出す予定だったのだろう練りきりを出した。大方、八百造など高位の者に出すつもりだったのだと思われる。
「うわ、すごい!これお菓子なんですか?」
うっすらとピンクの色がついた練りきりは、新春を予感させる梅のような淡い紅梅色だった。黒い漆の器によく映える。
「ほんとはフォークなんか使わへんのやけど、正式な場やないし」
不慣れでは食べづらいだろうと、きちんとフォークを出してやるあたりはさすがのプロと言わざるを得ない。
フォークを持った明斗は、畏れ多そうに躊躇い、こちらを見上げる。「いいの?」と目で訴えかけてくるのが本当に可愛い。
「かいらしなぁ」
「へ?」
口に出ていた。
思ったのと違う返答だったのだろう(当然だ)、明斗は困惑するが、柔造が促せば恐る恐るフォークで練りきりを割った。
そして口に運ぶと、カッと目を見開く。
「!?こ、え、こんな美味し、えっ!?」
「美味しいやろ?」
「美味しいです!すごくすごく!こんな美味しいもの初めて食べました!!」
いつもからは考えられないテンションだ。目をキラキラとさせ、今にも小躍りでもしそうだ。だが自分でも気付いたらしい、我に帰り、恥ずかしそうにする。しかし視線の先の練りきりに、また味を思い出したのか、へら、と表情を緩める。
「ありがとう、ございます。ほんとに、美味しいです」
「…っ、もう!なんてかいらしい子ぉなんやろうね!ウチの竜士と大違い…!」
「おう、坊主また来い、いつでも作ってやる」
柔造がその可愛らしさに意識を飛ばしかけると、虎子と料理人も暖かく言った。
それ以来、明斗が必ずやって来る年末の菓子のレベルは、老舗和菓子屋もかくやというほどに高まったのだった。