ありがとう


●2年前
柔造(23)×主(16)



空気がどこか重く湿っぽい6月、明斗は突然、八百造に呼び出された。出張所の所長室に入ると、柔造も机の前に座っている。


「あれ、柔兄」

「明斗も呼ばれとったんか」

「せや。はよ座り」


明斗も柔造の隣に正座すると、八百造は2人の前に2冊の書類の束を置いた。表紙には、「日本支部若手研修」とある。


「今回、日本支部の全国の主要な出張所から、若手祓魔師2人を派遣して、研修することになったんや。お前らには京都出張所の代表として行ってもらいたい」

「へぇ、そないな研修あんねや…いつからなん?」

「来週の月曜日から3日や」


どの組織も若手研修なるものはある。騎士團も例外ではなく、しかも全国規模でやるらしい。各都道府県から2人のようだったから、100人ほどになる。
ふと、場所はどこなのか気になった。いや、支部としての開催なのだから、場所は決まりきっている。


「場所はどこなん?」

「東京や」




***




梅雨前線が列島を離れた頃、明斗は柔造とともに新幹線に乗っていた。京都駅を出発し、一路東京へ向かう。

車内左側、2人席の窓側に明斗が座り、右隣の通路側に柔造が座る。指定席だが、それなりに混んでいた。
2人とも公務でないので私服で、柔造は白い半袖Tシャツにベージュのジャケット、紺のジーンズ。明斗は薄い水色の長袖のシャツに白い薄手のカーディガン、ベージュのズボンである。

新幹線が動き出して窓の外に京都タワーが後ろに過ぎていくのを見ていると、柔造がくすりと笑った。


「明斗、新幹線初めてなん?」

「うん、初めて乗った…ほんと、めっちゃ速いんだね」


飛ぶように過ぎていく車窓の景色に、若干テンションが上がっているのがバレている。しかし16歳になった今も柔造に隠し事しても隠し仰せたことはなく、もう隠すことは最初から諦めていた。


「かいらしなぁ、後でアイス食うか?」

「……そこまで子供扱いしないでよ」


そんな明斗に「かいらしなぁ」と笑うのもいつものことだが、アイス食うか?なんて流石に子供扱いが過ぎる。世間では高2にあたるのだ、相応の態度があるだろう。


「食わへんの?」

「……………食べるけど」


むすっとしながら言うと、柔造は何も言わないまでもニコリと笑う。何を思っているかなど分かりきっていたので、もう一度車窓に目を戻した。



――――東京は、捨てられて以来だ。
明斗は緑豊かな景色を眺めながら思う。
志摩家に来る前は、生みの親と東京大田区で暮らしていた。悪魔の血を引き、悪魔が見えてしまっていた明斗の言動に耐えかねた母は、ついに明斗を捨てた。その際、東京から京都まで車で移動し、金剛深山にある明陀宗の不動峯寺で下ろされた。だから新幹線は初なのだ。
悪魔を幽霊と思って、それが見えて怖いとしょっちゅう泣いていた明斗を不気味がり、旅行などに連れていかれたこともなかった。

もうあれからちょうど5年が経つ。東京で暮らしていた時間の方が長いはずなのに、随分と久し振りに思えた。初めてのようにすら感じる。
ちなみに、捨てられた明斗の戸籍などについては騎士團が処理してくれたらしい。普通なら犯罪なのだが、色々と細工をして、生みの親は特に罪に問われてはいないようだ。


「明斗」


ふと、柔造に名前を呼ばれる。緩慢にそちらを見ると、突然頭を撫でられた。しょっちゅうこういうことはしてくるが、なんとなくいつもと違う。


「柔兄…?」

「ん?いや、かわええなて思てな」


それだけではないことくらい分かる。しかし柔造が何も言わないでいてくれるのだから、明斗も黙ってそれを感受した。


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