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玲弥が移動したテルマレ・ロマネ通りは、港湾部とリゾートビーチとを分ける境界線となっている。この道の南西側は工場や倉庫が並ぶ地域で、先程の爆撃により黒煙が立ち上っている。そこから、風によって形を崩した地対空兵器の弾道煙がたなびいていた。
港湾部には他の地対空兵器もあるが、戦闘機はそれを壊さずに撤収していく。
それを横目に見ながら、玲弥はアルファ特科大隊の拠点テントに入った。テントは、テルマレ・ロマネ通りが海岸線で直角に折れ曲がるL字部分に設けられている。すぐ隣に、港湾部からこの通りまで伸びる貨物列車の線路があり、港湾部に展開するEU正規軍との輸送に使っていた。その線路も先程の爆撃で破壊されてしまったが。
テントに入ると、慌ただしく大柄な男たちが動き回り、その奥に見慣れた姿を見付けた。
「…ライトニング」
「おっ、玲弥だ、久しぶり」
そこまで行って声をかけると、部下と談笑していたボサボサの髪の男が出迎える。
ルーイン・ライト大尉、アメリカ支部のアルファ特科大隊を率いる男だ。前髪で目が見えない状態で、常にヘラヘラとしているやつである。これでいて、世界中の騎士團の中で3番目の実力者であり、それを称してライトニングと呼ばれている。
静かに現れた玲弥に、周りの部下、襟のマークからして中尉たちは驚く。この戦争に駆り出された日本人傭兵は、玲弥ひとり。世界で唯一の転移能力の保持者であり、初めて見ることになって驚いているのだろう。それに、流暢に日本語を喋るライトニングが珍しいのかもしれない。
「相変わらずクールな格好してるねぇ」
「…あんたも相変わらず不潔っすね」
「いやぁ、それほどでも〜」
ライトニングはヘラヘラと笑い、玲弥の腰から垂れるサスペンダーを摘まんで揺らした。それをはたき落とすと、机の上の地図に目線を移す。
「"ドブルジアの盾"作戦…俺への指揮権は、司令部からあんたに移る。俺の肩書きは気にしなくていっすけど、どーすんですか」
「そうだねぇ、玲弥は准大尉だし、僕の側で戦ってもらおうかな」
「…気にしなくていいって言ったんすけど」
「気にするかどうかは僕の自由だからね!」
何となく分かっていた展開だったため釘を刺したのだが、まさに糠床に釘である。飄飄とするライトニングにタメ息をついた。
「君を指揮できるなんてぼかぁ嬉しいよ!…興奮しちゃうね」
ヘラりとした笑いを突然妖艶なものに変え、ライトニングは玲弥の腰を撫でる。その手をもう一度はたき落とすと、玲弥はキャップを被り直す。
「ハラスメントで騎士團に通告しますよ」
「おー恐い」
思ってもいないだろう口振りだ。それにまたタメ息をついて、玲弥はテントを後にした。
***
2030年1月3日。
開戦から一週間あまり、戦況は芳しくなかった。ルーマニアとブルガリアの黒海沿岸を意味するドブルジア地方において、トルコ軍の上陸を防ぐために"ドブルジアの盾"作戦が実施されていた。しかし、ブルガリアで展開していたアフリカ支部のバーバリ特科大隊は敗走し、セルビアへ撤収。ギリシャのEU支部アドリア特科大隊もアルバニアへ撤退し、ギリシャとブルガリアは東側を占領された。
ロシアはウクライナ、リトアニア、ラトビア、エストニアを占領しており、バルト海の制海権を奪ってコペンハーゲンを包囲、北欧3か国を威圧し、ポーランド国境を侵犯している。
一方トルコは陸上戦力の南下を防ぐべく、セルビアやアルバニアなど西バルカンの8か国に対して、EUや米国の軍隊を通過させなければ攻撃しないと宣言、 8か国はそれに従い、西バルカン平和会議を組織してEUとトルコ双方の軍隊を国内に入れないことにした。
これにはハンガリーとチェコ、スロバキアも加わり、チェコからマケドニアまでがEUであるにも関わらず欧州連合軍を国内に通さなかった。
これら11カ国がいずれもドナウ川とその支流の流域国であるため、これを"ドナウの壁"と呼ぶようになった。
このドナウの壁によって、バルカン半島の戦況は絶望的になった。ウクライナ全土がロシアに占領された今、欧州連合陸軍がバルカン戦線に赴くためには、地中海からギリシャを経由しなければならないからだ。ドナウの壁のスロバキアとウクライナが接しており、ルーマニアとポーランドが分かたれているのである。
現在、残存しているEU正規軍と騎士團が、ギリシャの首都アテネとブルガリアの首都ソフィアで防衛戦に入ろうとしており、ルーマニアの首都ブカレストもその方針になろうか協議されていた。