心を失った日: エレバン包囲
●2026年〜2027年
主人公の過去2
その後は矛造たちの心配を素直に受け取れるようになった玲弥は、志摩兄弟とも良好な関係を築けるようになり、少しずつ色々な感情を学んでいった。
大なり小なりの心配に気づき、それを嬉しく感じる。変なことを言ってくる金造や、冗談を言い合う隊員たちの会話は楽しい。
柔造と金造が喧嘩して会話がなくなると悲しいし寂しいと感じるし、しつこくちょっかいをかけられれば鬱陶しいと思うし、任務中に命に関わるミスをする者がいれば怒る。そして、心配する。
感じるようになれば、心とは喜怒哀楽に常に揺れ動く忙しい機関なのだな、と思った。
まだ覚えたての感情だったため、それが表情など目に見えるような形になることはなく、無表情なのは変わらなかった。それでも、たまに少し表情が緩んでいることはあるらしく、もう少しで笑顔になれそうだと周りに評してもらっていた。
ーーーもしそのまま過ごせていれば、違う現在があったのかもしれない。
2026年11月、1990年代からの禍根であったアルメニアとアゼルバイジャンの領土紛争は、再び火を噴いた。
アルメニアがアゼルバイジャンの国土の10%ほどを占領している状態だったが、その中心地であるナゴルノ=カラバフを巡り両国が戦端を開き、第二次ナゴルノ=カラバフ紛争が勃発した。
豊富な石油資源とイスラエルをバックにつけるアゼルバイジャンは、先制攻撃を行ったこともあり一時はナゴルノ=カラバフの中心都市まで侵攻した。しかしそこで行われた虐殺は、第一次紛争のときや2016年衝突を彷彿とさせるものだったため国際社会から非難され、両国はともに他国からの支援のない状況に陥った。
騎士團は、これにあたって当たり障りない国から派遣することに決め、日本支部から特科大隊の一部が派遣されることになった。それが、第二中隊だった。アムール川紛争以来、約1年ぶりの戦闘任務である。
12歳になった玲弥は、意識が変わったこともあり、藤本たちももう大丈夫だろうと踏んでいた。
しかし、国際社会から見放された戦場は、秩序のない地獄なのだと、世界は忘れていたのだった。
***
アルメニア、首都エレバン。世界最古の都市のひとつである。
ナゴルノ=カラバフからさらに進撃してきたアゼルバイジャンは、アルメニアの首都まで至り、歴史的な街に対して無差別の砲撃を行っていた。ことごとくインフラは破壊され、学校も病院もすべて機能を停止。道路も鉄道も破壊された内陸国は、輸送手段を失って深刻な飢餓状態になっていた。
国連やNGO職員ですら無差別に攻撃される異常な空間に国際法などという高度な秩序体系は存在せず、ただ破壊と殺戮があるのみだった。
玲弥たち日本支部の傭兵に任されたのは、エレバンにおける国連職員の保護と、逃げ遅れた外国人の脱出である。
「こちら第一小隊、オペラ座前のフリーダムスクエアにて展開中。地元住民が助けを求めて取り囲んでいる」
玲弥はインカムに向けてげんなりとしながら喋る。エレバン中心部にある、円形の豪奢な建物であるオペラ座。その前の広場に第一小隊がいたところ、逃げてきた市民が助けを求めて駆け寄って来たのである。口々に現地の言葉やロシア語、英語で叫んでいる。まだ幼い玲弥はオペラ座のすぐ近くに立ってその様子を眺めていた。
『こちら日本支部司令部。住民は適当にいなしておけ。国連職員はまだか』
「まだ市内を走行中としか聞いていない。それよりも、住民に輸送用のバスも囲まれている。国連職員をこの状況で乗車させて輸送するのに10人は足りない」
『それはそちらで頼む。威嚇射撃は許可しておこう』
「…了解」
あまり食い下がるのも良くない。玲弥はいら立ちながら了解し、こちらに駆け寄ってくる矛造にため息をついて見せた。
「…だめです、要領を得ない」
「せやろうな…あんま無下にはしとうないねんけど、そうも言ってられへんか」
困ったように老婆につたない英語を話す柔造を2人で見ていた、そのときだった。
空を、音速で飛ぶものが突っ切る鋭い爆音が切り裂いた。その音が響くと同時に、矛造は叫ぶ。
「伏せろ!!!!」
言われる前に玲弥は地面に伏せて頭を覆う。
直後、オペラ座の円形の建物が内側から吹き飛んだ。一斉に窓ガラスが割れ、柱が折れ、天井が崩落し、壁がこちらへ倒れてくる。爆発とともに大量の破片が広場に降り注ぎ、人々の悲鳴が響いた。