Contemporary III: make us one
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同様のことは、東側でも起きた。

共産主義陣営での会議のおいてプロイセンがいる、という理由でアルレシアは会場を出たのだ。


やはりプロイセンも傷ついた表情を浮かべたが、年の功か、すぐに隠した。

そして、「こっちこそ願い下げだ」と返して見せた。

アルレシアはプロイセンなりの配慮を感じ、より切なくなった。

こうして東西から距離を置いたアルレシアだったが、国内、右派と共産党からは不満が高まっていた。

左派が勅令を理由にマーシャル・プランやコメコンから離れたことに苛立ち、それぞれ王政に不満を募らせていたのだ。


それは、1950年に表面化する。

核軍拡や朝鮮戦争によって冷戦が激化すると、ロシアはよりアルレシアへの介入を目論むようになった。


とくに、アルレシアに基地を持つことで牽制できると踏んでいた。


そうして、ロシアはアルレシア人民共和国政府に対してロシア軍の駐留を要求。

共産党は二つ返事で了承した。

南部の基地を提供すると発表したのだ。

これには左派、右派だけでなく西側諸国も猛反発。


間も無く左派政権が南部へ侵攻し、右派も共産党、左派政権に対して攻撃をしかけた。

第三次アルレシア内戦の始まりである。

アメリカやイギリス、ロシアは本格的に軍事支援を行い、最大規模の戦いとなった。

冷戦が熱戦となった例のひとつである。

その上、内戦は3年間に渡って続き、南部から中央部、東部にかけての都市は悉く戦火に飲まれた。

首都や外港は完全に焼失し、南部はイギリスやアメリカによって無差別爆撃が行われるなど、凄惨を極めた。

経済は徹底的に崩壊、数百万人の人々が難民として国を離れたことで、国家として存続が危ぶまれるほどの危機を迎えた。





アルレシアは、雨が降る首都の跡に立ちすくむ。


「…ひょっとして、ここで消えるのかもなぁ…」

目の前には、蔦が取りつき草が生える王宮の廃墟。

最後に国王と首相を見た部屋のバルコニーが、落下して草に埋もれている。

冷たい雨が全身に打ち付ける中で、頬を温かい水滴が伝った。

「…すみません、幸せには、なれそうにないです」

アルレシア自身の幸せを願ってくれた二人に申し訳なかった。

もう自分は、駄目かもしれない。

「この国も守れなかった…たくさん、たくさん、失った…」

街のあちこちに、遺体を火葬する白い煙が雨霧の中に立ち上がる。

「もう、いっそ…」

腰のホルダーにかかる黒い拳銃。

死ねるかなんて分からないが、試してみるのも一興かもしれない。

ホルダーに手を伸ばそうとした瞬間、足音が背後から響いた。

慌てて振り返ると、そこには小さな少女。

「アルレシアさんだ」

「…どうした」

存外、まだ優しい声を出せたことに内心驚く。


「おじさんがね、ママとパパを箱にいれたまま出してくれないの。なんのマークもないのに他のたくさんの箱と一緒にして、分からなくなっちゃうわ」

瞬時に、火葬場の話だと分かる。

この子は、両親を失ったということだ。

理解はしていないんだろうが。

「そっか……」

この子は、これからどうやって生きるのか。

この何もなくなった国で、果たしてどうやって孤児がまともに生きていけるのだろうか。


(俺が諦めたら、この子は…)

そうだ、これからこの国を建て直すのは子供たちだ。

その子供が生きていけない国に、未来はない。

アルレシアはこの命のリレーを見守るのが仕事だ。

それを放棄してはいけない。


「…なにも心配することはないよ。俺が、幸せにしてあげよう」

「…?」

よく分かっていないような少女を抱き上げ、王宮に背を向ける。

「俺に任せとけ」

笑顔を見せれば、少女も笑ってアルレシアの首筋に顔を埋めた。




***




1953年、スターリンの死によって共産党が混乱し、内戦は停戦した。


再び選挙が行われると、やはり左派が政権を得た。

1956年にロシアでスターリン批判が露見すると、アルレシア南部で共産党政権に対して暴動が起き、共産党は壊滅。


ここでさらに選挙を行い、左派が勝利して永世中立を宣言すると、ようやく各国も承認した。

アルレシア王国は1600年の王政を引き継いだのだ。

ついでアルレシアは、中立として東西の対立をうまく使うことに神経を注いだ。

雪解け、再緊張と移る中で、アルレシアが東西どちらにつくかは引き続き世界の関心事だった。


「アメリカ、いい加減2国間協定に同意しろよ。イギリスとフランスは同意したぞ。永世中立なんて辞めるの簡単なんだよ」

「ロシア、とりあえず2国間で協定を結ぼう。大丈夫、そしたら西側には入らない」

双方にどちらかを選ばれたくなければ、と脅すかのように援助を求めて、大量の資本を獲得する。

それを元に、イギリスに倣って大規模な油田開発を行った。

1960、70年代からは石油や天然ガスが大量に採れるようになり、瞬く間に国庫は潤った。

輸出ばかりにこだわらず、国内でまず100%自給することで国内産業の輸出を促進し、余った分だけ輸出する。

国連に入っていないことを生かして為替も操作し、通貨を保護する。

輸出にこだわり通貨が暴落したオランダは、資源価格下落で経済が崩壊し、オランダ病という言葉が生まれた。

それを免れたアルレシアは順調に経済を復興させ、1980年代後半には先進国の座に返り咲いた。





やがて1989年、ベルリンの壁崩壊とともに冷戦は終結。

ドイツは統一され、アルレシアに対して国交回復を求めたが、アルレシアは黙殺した。

EUや国連への参加も繰り返し求められたが、すべて拒否した。


これもやはり、勅令に基づくものだ。


そうして様々な諸問題を残しながらも世界は動き、そして現在に至るのだった。


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