Early Modern II: cannot be independent
−3
「お兄ちゃん、ごめん、ごめんなぁ…!許し、たって…!」
傷だらけのベルギー。
大事にしていた肌も髪もボロボロだ。
包帯には血が滲み、左足を引きずり右腕は力なく垂れている。実の妹の惨状に、オランダは唇を噛み締める。
オランダもあちこち出血し、軍服やマフラーはその血で濡れ重い。
焦土と化したアントウェルペンの近郊で、ベルギーは涙ながらにオランダに謝った。その後ろには、ほとんど戦いには参加していないながらルクセンブルクもいた。
彼らの身には、戦死した兵士、巻き込まれた市民、処刑された新教徒の苦しみ、痛みが激痛となってのしかかる。
引き裂かれた家族の、愛する人を失った者の、心の慟哭が精神を揺さぶる。
抑圧、処刑の嵐の中、旧教徒=カトリックが多いベルギーには、ふと懐柔策が示された。
覇権都市で証券の中心だったアントウェルペンが壊滅し、疲弊したベルギーは、ルクセンブルクとともに独立戦争を脱退することにした。
このままスペイン領として留まるのだ。
「……ほうか」
「うっ…ひっく…ごめんなぁ…ごめんなさい…」
泣きじゃくるベルギーはいっぱいいっぱいだろう。
オランダはその頭に手を乗せる。
「よう頑張った。スペインの家にはアルレがおる、手当てしてもらいねま」
「お兄、ちゃんは…?」
「俺はまだ戦う。ほや…スペインの家着いたら、アルレにこれ渡してしておくんねのぉ」
オランダはポケットから紙を取り出し、さっと何か書き留める。
その紙を折りたたみ、ベルギーに渡した。
「うん…」
「ほな。達者にな」
オランダはそれだけ残して踵を返した。
「お兄ちゃん…ごめんな…」
涙を拭い、託された紙をポケットにしまう。
―――この別れが、後の時代まで二人に溝を生むことになるのであった。
***
開戦から少ししたある日、スペインはまたオランダに出掛け、屋敷にはアルレシアとロマーノだけのときだった。
玄関が開く音がして、スペインかと思ってロマーノと様子を見に行くと、ベルギーが血だらけで倒れていた。
「うわぁぁ!」
ロマーノは悲鳴を上げてアルレシアに抱き着く。
一瞬アルレシアも頭が白くなったが、すぐ落ち着きを取り戻す。
「大丈夫だロマーノ、ほとんど相手の血だ。桶に水を入れて、柔らかい布を持って来てくれ」
「わ、分かった」
ロマーノが駆けて行くと、アルレシアはすぐベルギーを抱き起こした。
「大丈夫か、」
「うっ…」
大理石に血が広がる。相手の血だけでは、当然なかった。
アルレシアは上着を脱ぎ、引き裂いて患部を縛っていく。
国だから焦る必要はない。
だがロマーノがいる手前、生々しい応急処置を見せられない。
てきぱきと済ませていき、終わったところで抱え上げてベルギーが暮らしていた部屋に運ぶ。
「持って来たぞ」
ロマーノが危なっかしくもちゃんと桶に汲まれた水、柔らかな布を持って来た。
「ありがとう。もう一つ、馬屋に行って、使用人に街から医者を呼んでもらってくれ」
「おう」
慎重な仕事をさせたから落ち着いたようだ。ベルギーもマシになったし、平静を取り戻して馬屋に走って行く。
「アルレ、兄ちゃん…」
弱々しい声を耳が拾った。
「ん?」
ベルギーに目を合わせる。
「……ワッフル、食べ、た、い…」
そう、アルレシアが焦らないのは、このしたたかさを知っていたからだった。伊達に百年戦争の舞台となっていないのだ。
***
帰って来たスペインは、ベルギーを見て驚き、ついで痛ましげに顔を歪めた。
「ごめんな、不甲斐ない親分で…」
「…ええんよ、親分自身や、ないもん」
二人は目を合わせない。
まだ二人の間の戦いは終わった直後だ、当然である。
「ほら、スペインはまだ仕事だろ」
アルレシアはスペインを追い立てた。この雰囲気もそうだし、スペインは今大変なときだ。早く仕事に戻らせねば。
「わっ、押さんといてっ」
「明日怒られても知らねえぞ」
「うぅ…」
スペインは渋々執務室へ向かう。
それを見送ってからベルギーの部屋に戻る。
「ベルギー、ルクセンはどうした?」
「ルクセンは後で帰ってくる言うてたよ。家の方が色々大変言うてたけど…」
「…本当は、ここに帰りたくねぇのかもなぁ」
この屋敷には、あまりに多くの思い出が残っている。それを思い出すのがつらくて、意図的に帰りを遅らせているのだろう。
「アルレ兄ちゃん、」
すると、思い出したようにベルギーが呼ぶ。見ると、ベルギーは何やら紙を差し出していた。
「なんだそれ?」
受け取りながら聞けば、オランダからの手紙らしかった。
紙は血で汚れてはいるが、文字はオランダの殴り書きながらちゃんと読める。
「お兄ちゃんが、アルレ兄ちゃんにって」
アルレシアは紙に書かれた文字を見て、眉をひそめる。
『参戦せんでええ。安全なとこで生きねま』
「これ…」
「どうせ、参戦すんなって書いてあんねやろ?」
「あぁ…」
「やっぱり。ウチやお兄ちゃん自身ごっつ傷付いとるから、アルレ兄ちゃんを同じ目に合わせとうないんやろ」
それを聞いてやっと合点した。
ついで、それほど厳しいのかとつらく感じる。
イギリスがオランダを支援しているはずだが、相手は世界を股にかける国だ。カトリックが多いベルギーでこれなら、新教徒が多いオランダはもっとひどいかもしれない。
スペインだってヨーロッパ最大の貿易国家を相手にしているのだから大変なはず。
「わざわざ戦争しなきゃ…何も得られないのか…」
生まれたときから変わらず続く戦争。
人は変われないのか、と虚しくなる。
いや、自分が諦めてはいけない。
アルレシアは思い直す。
(変わるときが来た)
傍観をやめ、再び歴史に飛び込むときだ。
失敗は許されないから慎重に、でも大胆に。
アルレシアは頭の中に考えを構築していった。