Contemporary I: devil’s warfare
−腐れ帝国主義
1870年代まで、ヨーロッパは混乱により植民地政策を活発に行わなかった。
1800年代初頭のナポレオンによる混乱、1830年の七月革命、1848年の二月革命、1860年代のプロイセンによる対外戦争とドイツ、イタリアの統一。
また、アメリカでは1860年代に南北戦争が起きていた。
それらの混乱は、1871年までには大方収まった。
そして、混乱の後には復興や新たな投資が加熱する。
アメリカの復興と大陸横断鉄道敷設、ヨーロッパの復興と産業革命による鉄道狂時代という建設ラッシュなどだ。
しかしこれらは、一種のバブルに過ぎなかった。
1873年、バブルに沸くドイツ地域の証券の中心、ウィーンで、投資家がバブル崩壊を恐れ一斉に売りに走った。
結果、ウィーン証券取引所では株価が大暴落を起こし、大不況に陥った。
アメリカに伝播し、さらにそれが再びヨーロッパへ伝播する。
そうして、世界がパニックとなり、列強では新たな植民地政策を始めることとなったのだ。
イギリス、フランス、オランダはインドや東南アジアへ、中国へ。
ロシアは南下を進め、日本も朝鮮、中国に進出。
アメリカも拡張政策が始まった。
19世紀帝国主義が、本格的に始動したのだ。
***
アルレシアは、引き続き国際社会への干渉を進めることが決まった。
しかし貿易商人への特別課税はやめず、対等貿易も続行だ。
当然、流れに乗って植民地経営を行うべきという意見も出たのだが、それはヨーロッパのいずれかの国と必ず対立することになり、面倒だ。
国際戦争への参加は、誰の本意でもない。
そうして、拡張ではなく、列強諸国の対立を利用して上手く立ち回る方向に決まった。
「一番せこいだろ」
アルレシアは議会を見てそんなことを呟いたのだが、誰も反応はしなかった。
現在の国際情勢はこうだ。
まず最大勢力がイギリス。
不況にやられたトルコから、見事なまでにエジプトを奪った。
ウィーン条約でオランダから得た南アフリカとエジプトから、アフリカ大陸を縦断するように植民地化しており、インドや東南アジア北西部、中国の北部などを獲得している。
南下するロシアが海へ出ないよう、アフガニスタンやイランにも勢力を拡大。
世界を股にかける大国である。
それと対立するようにフランスがアフリカや東南アジア、中国に進出している。
アメリカは南北アメリカ大陸を支配下におき、太平洋、中国を狙う。
東南アジアではオランダが大きな勢力を築く。
注目すべきは日本の目覚ましい発展とその拡大、そしてベルギーだ。
日本は朝鮮、中国、台湾へと進出し各列強と対立したり協調したりしている。
ベルギーはアフリカ進出のきっかけでもあり、また、"ヨーロッパの十字路"としてヨーロッパ列強本国の間で上手く動いている。
プロイセンも列強の対立の仲介をする振りをして思い通りに情勢を動かし、ロシアの南下は世界が警戒する。
―――どう考えても面倒だ。
アルレシアはため息をつきたいのを我慢して、イギリス行きの船に乗る。
ベルギーはともかく、プロイセンは必ず仲介ポジションから主軸ポジションへ移るはず。
これ以上プロイセンと一緒にいれば、対立構造の中で強引にプロイセン側にいれられる。
かと言ってイギリスとフランスははっきり立場を明確にしているし、ロシアの南下はアルレシアにとっても脅威だ。
「美味しいのはロシアだが…ちょっと厄介を起こしすぎ」
ロシアとの接近はアルレシアの信用に関わる問題である。
「ロシアとプロイセンは現状維持。イギリスはそもそも栄誉ある孤立中、フランスもハブられたまま…」
アルレシアは結局ため息をついた。
「面倒だ…」