八十年戦争と再婚
和解を果たした話を聞いたヨーロッパ諸国、特に女子勢はとても楽しそうににやついた。
「片想い拗らせた険悪な関係が一転、ピンチに颯爽と現れてヒーローのように助ける…いい話じゃない」
ハンガリーはそう言って高速でスマホをタップした。大方、日本に少女漫画のようだと実況でもしているのだろう。
「乙女にとっては理想的なシチュエーションじゃないか」
本当にそう思ってるのか分からないポーカーフェイスで、モナコも楽しげに感想を述べる。
「あー、なんで俺あん時おらんかったんやぁ…オーストリアのせいやでぇ…」
「もう少し早ければなぁ、俺もワンチャンあったんねやけどねぇ」
不在だったスペインやポルトガルは惜しそうだ。特に、その後の歴史を考えればスペインの気持ちもひとしおだろう。
「ほんま焦ったんやでー?ウチら」
「そうですよ、シャレにならないことになってたかもなんですから」
「役に立たねえなスペイン」
当事者であるベルギーやルクセンブルクは、解決したからこそ落ち着いて聞ける話であって、当時は本当に怖かったのだろう。ロマーノはスペインに一言いい放ち、落ち込ませていた。
「ほんと、このあとヨーロッパ最悪の夫婦が再婚するだもん、やんなっちゃうよね」
そして、フランスは和解後のヨーロッパ全域を巻き込む大動乱と、その頃のオランダ=アルレシアの最悪なタッグを思いだし、遠い目をしていた。
「俺なんて最大の犠牲者だっぺぇ!」
「最初にかき回したクセに、何言ってるんですの?」
「あの恨み、忘れへんよ〜」
フランスの他に、二人の犠牲になったデンマーク、チェコ、ポルトガルも騒ぎ立てる。
オランダはどこ吹く風である。
「亡命してきたカトリックもプロテスタントも認めてやったんだから、文句言われる筋合いねえよ」
アルレシアも、当時暴れていた自覚はあったが、それは無視しておく。
「アルレシアはいったい何を…?」
そんな国々に、新興のドイツは疑問符を浮かべていた。隣で、イタリアがあはは、と苦笑する。
「がめついオランダと、がめついアルレシアが、ラブラブになったんだよ?俺らヨーロッパ諸国は、二人にとって鴨の大群だったんだろうね〜」
いい得て妙なイタリアの言葉に、思わず全員が黙ってしまった。
***
アルレシアとオランダが和解したのは1550年のことである。
その頃、オランダでは30年代から再洗礼派によるミュンスター千年王国戦争に伴うプロテスタントの流入が加速し、カルヴァン派も広まっていた。
ルターによる宗教改革によって、すでに北欧やイングランド、オランダ、バルト地域、ドイツ北部はプロテスタントとなっていたが、プロテスタントはルター派からカルヴァン派へと主流を変え始めていた。
アルレシアは、オランダと同君連合となった15世紀末からカトリック人口が増加し、ネーデルラントとともにスペイン領となってからはさらにカトリックは拡大した。
オランダと和解した頃からプロテスタントもオランダより流入し、オランダと結婚し、和解するまでの半世紀の間にキリスト教人口は3倍、全国民の15%に至った。
オランダにおけるプロテスタント拡大の動きに牽制がスペインから入り始めたのは、それから10年ほどしてからだった。
1556年、神聖ローマ皇帝カール5世は息子フェリペ2世にスペイン王位を継承、スペイン=ハプスブルク家が生まれた。フェリペ2世はネーデルラントで暮らしており、1559年まではそこにいた。
その年からフェリペ2世はスペインへと移ったが、その際、ネーデルラントにおける政治をパルマ公妃マルゲリータを総督に据えて任せた。マルゲリータは本国の要請でプロテスタントの異端審問を行ったが、オランダが「勝手なことせんでおくんねの」と言えばそれを受け入れてしまった。
結果、脱出していたプロテスタント指導者が戻ってきて演説を行い、また司教区再編による利権の喪失で貴族が不満を高めていたこともあり、プロテスタント市民が一斉にカトリック教会を襲う聖像破壊運動が勃発した。
それを許した穏健派のマルゲリータに業を煮やした本国は、1567年、アルバ公がマルゲリータに代わって総督となり、弾圧を強化した。
アルレシアにおいては、自治権を持つ王府がカトリックとプロテスタントそれぞれに礼拝地区を限定する方式を取っていたため均衡が維持されており、下手に介入してスペインに牙を向かれるよりも放置を選んだ。
いまだ、北海の覇者として恐れられていたのは本当だったのだ。
こうしたこともあり、以降三十年戦争まで、カトリック、プロテスタント両宗派の人々が亡命するようになり、王府はそれを認めていたのである。