三十年戦争: プラハの窓は処刑台


1609年のスペインとオランダ、アルレシアとの間の休戦協定と前後して、アウクスブルクの和議以来沈静化していた神聖ローマ帝国における宗教対立が激化し始めた。
また、それに伴い各国の思惑も渦巻き始めていた。


「ポンメルンさ欲し…」

「スーさん怖いよぉ…!帝国めちゃくちゃにする気だよー…!」

「スヴェーリエめ、俺と同じごと考えてっぺぇ…」

「やめどげこの」


バルト海対岸の北ドイツを獲得し、バルト帝国を実現しようとするスウェーデン(とフィンランド)、スウェーデンと対立しながら南方への影響力を強めたいデンマーク(とノルウェー)は、帝国への侵攻の口実を探していた。


「あー、スペインのやつほんっと言うこと聞かないんだから…スウェーデンの影響力は怖いけど、お兄さん頑張って裏で手を引くぞ」


スペインと戦争中のフランスは、ドイツ地域でのハプスブルク家の影響力を弱めつつ、スウェーデンにそれをさせようと画策していた。


「ぶっちゃけあんま興味ねえけど、とりあえず準備はしとくか…」


完全に対岸の火事でしかないイギリスは、少し戦況を掻き回せればいいかな、くらいのスタンスだった。なんせ金がない。


「金稼げればええわ」

「右に同じく」


オランダ、アルレシアは貿易とポルトガル戦争に忙しく、ドイツの宗教戦争に関心は薄い。


ここまでがプロテスタント側の考えだ。一方カトリックは、しっかり宗教的な考えを持っていた。


「ルター派の次はカルヴァン派ですか、次から次へと…」

「オーストリアさんを困らせるなんて万死!」


帝国の大部分を直接支配するハプスブルク家のお膝元、オーストリアは帝国内のプロテスタント達に頭を抱えていたが、1618年までは両宗派の融和を目指していた。ハンガリーはいつも通りだ。


「オーストリア弱腰過ぎひん?もっと熱くなれや!親分一人やねんで、こんな戦っとるの!」


そんなオーストリアに業を煮やすのはカトリック国家スペインだ。フランスやオランダとの戦争をしながらも、ポルトガルと連合してからは世界の植民地を束ねる太陽の沈まない帝国である。



「いい加減にしなさいよぉぉぉぉおお!!!」


そんな状況の中で、1618年、皇帝兼ボヘミア王のプロテスタント弾圧に耐えかねたチェコは、国王顧問3名をプラハ城の窓から投げ落とした。恒例のプラハ窓外投擲事件である。


「あ……」


やっちゃった、とばかりにチェコは同居していたオーストリア、ハンガリー、スロバキアを見る。


「…よろしい、ならば戦争でしてよ!」

「開き直りですか!」

「またあんたなの!?」

「マティアスさん戻ってきてー!」


開き直って武装蜂起するチェコに対し、応戦すべく立ち上がるオーストリア、因縁の仲であるハンガリーが吠える。
力のないスロバキアは、融和に努めた先代皇帝の名を呼ぶしかなかった。

こうして、三十年戦争の火蓋が切って落とされた。



チェコの応援に駆けつけたのは、同じくプロテスタントだったプファルツ選帝侯だけだった。
それに対しカトリック側には、オーストリア、ハンガリーの他にスペインとバイエルンが駆けつけ、プロテスタントながらプファルツ選帝侯と敵対していたザクセンも支援した。
結果、すぐにチェコは平定され、プファルツ選帝侯領もスペインに占領された。


「こりゃ、休戦の延長はねえな」

「…ほやな」


一方、休戦協定の期限である12年が過ぎようとしていたオランダでは、三十年戦争勃発によりスペインが進軍してくるであろうことは分かっていた。
プファルツ選帝侯領に留まるスペインは、すぐにネーデルラントに入ってこれる。
2人は開戦の準備のため、前線の要塞都市ブレダへ向かった。


時を同じくして、プロイセンがブランデンブルグ選帝侯と同君連合となった。騎士団出身ながらプロテスタントに改宗していたプロイセンは、帝国内にも領土を得たことで着実に力を増していたが、ポーランド=リトアニアとの東欧における勢力争いや、スウェーデンとのにらみ合いが続いていた。


1623年、ハプスブルク家はプファルツ選帝侯領とその位をバイエルンに与えたが、それは長らく憲法のように帝国を縛っていた金印勅書が規定する選帝侯領の場所に関する項目に反するものだった。また、1627年のボヘミア議会の権力剥奪と直属領化も非道であるとして、これらことが帝国でのオーストリアへの不信感を高めた。


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