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1673年、オランダはオーストリア、スペイン、プロイセンと次々と同盟を結び、反撃に打って出た。
無総督時代を終えて連邦総督となっていたウィレム3世は、アルレシア枢密院との議論の末、アルレシア王位をイギリスから取り返した。イギリスは英蘭戦争で完敗しておりそれに対抗できず、そもそも対抗したところで完全な名目に過ぎない王位を持っていても意味がなかった。

オランダにとっては、アルレシア王位取得によってアルレシアを戦いに引き込めると考えていたし、アルレシア側も軍需を見込んで許可していた。

1674年の頭にオランダとイギリスは和睦し、オランダと同盟した各国はフランスとの戦いを随時開始していった。
その年の5月頃までにオランダは本土からフランスを追い出し、ケルンやミュンスターとも和睦した。
そうして戦場はネーデルラント、ラインラントへと移る。

その背後でオランダや同盟諸国を支援するアルレシアは、フランスにとってついに邪魔な存在となった。
同時に、アルレシアを手に入れることでイギリス、オランダ、ドイツ諸侯を挟み撃ちにし、北欧へも睨みを効かせられることにも気付く。

奇しくもウィレム3世がアルレシア王位についたことから、フランスはルイ14世がアルレシア王位を主張し、アルレシアへ侵攻した。
第一次アルレシア継承戦争である。

フランスは根拠として、最後のアルレシア王女マリアの娘、カトリーンの玄孫である男児シャルルが確認できる最後の血族であり、そのシャルルの叔父アンリ4世の孫であるルイ14世の方が、もしくはアンリ4世からのブルボン家の方が、オラニエ=ナッサウ家のオラニエ公ウィレム3世より血筋が近く、血筋を理由にかつてフェリペ2世から王位をオラニエ家に認めたのであれば当然ルイ14世の方が正統だというものだ。

実際のところ、オラニエ=ナッサウ家もブルボン家もアルレシア王家の血筋を引いていないため、同じレベルだ。

さらにフランスは、莫大な資金を募ってスウェーデンを誘い、北方戦争でオランダに恨みがあるスウェーデンは北ドイツへの侵攻とオランダ=アルレシア開戦を決めた。

こうして1675年、スウェーデン・プロイセン戦争が開始され、スウェーデンとオランダ=アルレシア海軍との戦争も始まった。

アルレシアはオランダとともにフランスやスウェーデンの海軍をことごとく破り、陸上でもプロイセンとともにポンメルンを落とした。
フランスがアルレシア継承戦争を起こしたことは、北海の大国アルレシアによる北海とバルト海及びその沿岸における大暴れを招いてしまったのだ。

さらにデンマークもスコーネ地方奪回のためにスコーネ戦争を起こし、オランダ=アルレシア、プロイセンとともにスウェーデンの陸軍も海軍も壊滅させた。


イギリスはフランスがオランダを占領すれば経済的に屈伏させられてしまうため、親蘭路線を議会が訴えて方針転換、ジェームズ2世の娘メアリー2世がウィレム3世と結婚することになった。
フランスの敗北が続くドイツ地域、膠着状態に陥ったバルト海地域と欧州全域で厭戦気分が漂い出すと、ついにフランスはオランダ侵略とアルレシア継承を諦めた。


「お兄さん、スペインにはわりと勝ったからネーデルラントの街は少しもらってくよ!オランダとアルレシアからは手を引くからさ」

「当たり前やざ」

フランスはまず、オランダ全土からの撤退とネーデルラントの都市のいくつかを獲得した。


「プロイセンお願い!ウェストファリアでポンメルンはスウェーデンのって決まったじゃん?だから返してやってよ!」

「ちっ、仕方ねえな…」

「デンマークもさ、スコーネは仕方なくない?どうせまた取られるよ!」

「フランスがそこまで言うんならいいけどよ…」


フランスはスウェーデンの戦争に関して、なるべく戦前の状態に戻そうとした。結果的に、ポンメルンはスウェーデンに返されたがもはやその影響力はたかが知れていた。


「なじょして俺が条約に関わんねんだべ」

「スーさん…」


スウェーデンはフランスが主導して北欧の和睦を進めたために、条約に呼ばれすらしないという屈辱を味わった。また、国力の低下を晒すことになり、デンマークとの平和を目指すことにした。
こうして、デンマーク王女とスウェーデン王は1680年に結婚する。


これらを合わせ、1678年にナイメーヘンの和約として各国は平和を取り戻した。
だがそれは例によって、次の戦争の前触れでしかなかったのだった。


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