巻き込まれ18世紀
事実上フランスの敗北で終結した大同盟戦争だったが、すでにフランスはスペイン王室への細工を施していた。
度重なる近親結婚の末に複合障害を持って生まれてしまったスペイン王カルロス2世は、子を成すことは絶望視されていた。
王位の継承を巡ってフランスとオーストリアが無言のにらみ合いをしていたが、フランスは王に洗脳のごとく根回しをし、結果、カルロス2世は遺書にてフランスのフェリペ5世に王位を継ぐことを書いて崩御した。
フランスはフェリペ5世のフランス王位継承権を否定せず、将来この悪友二人が同じ国家となる可能性が高まってしまった。
一方、アルレシアも非常に難しい問題に直面していた。
アルレシア王兼イギリス王兼オランダ連邦総督であったウィレム3世が崩御したあと、イギリスではアン女王が即位し、オランダは再び連邦総督を置かない無総督時代となってしまったのだ。
アルレシアではこの頃、王位継承は男性に限られていた。よってアン女王はアルレシア王に即位できないのだが、かといってオランダにも総督はいない。
しかもオランダでは、総督の座をプロイセンのフリードリヒ1世(フリッツ親父の祖父)も主張したため、同様にアルレシア王位もプロイセンに移ると主張した。
フリードリヒはウィレム3世の従弟である。
フリードリヒに認めてしまえば簡単なのだが、そうするとオランダ総督もフリードリヒがやるべきだという意思表示になりかねないため、オランダとの関係が悪化してしまう。
枢密院は大きな岐路に立たされていた。
「女王でも大丈夫にするって勅令出せなかったのか?」
「勅令は同君連合の王には出せない」
イギリスの指摘はごもっともだが、ウィレム3世は同君連合に過ぎなかったため、勅令を出せなかった。同君連合における王権は、著しく制限されるのだ。
「…フリースラントやヘルダーラント総督ならおる」
「悪いな、国家元首じゃないとだめなんだ」
次のオランダ連邦総督だと目されるウィレム5世は、現在一部の州の総督に過ぎない。
「俺様の上司にしちまえよー、アルレシアもオランダもよー」
ニヤニヤとしながら言うプロイセンだが、オランダがそれを認めない限りアルレシアには無理だ。
このままでは埒が明かない。アルレシアは苦渋の決断をするしかなかった。
「イギリスの王位継承法に則ることにする。次の王はハノーヴァー選帝侯ゲオルク1世だ」
仕方なく、アルレシアはイギリスの王位継承法に基づき、子供を生めないアン女王の次に王位につくことになっているハノーヴァー選帝侯ゲオルク1世がイギリス王につくと同時にアルレシア王にもついてもらうことにした。
それまではアルレシアも空位時代だ。
「マジで血縁者探さねえとやばい」
***
その頃、北欧ではスウェーデンの覇権に対してデンマークとザクセンとロシアが異を唱えていた。
デンマークはユトランド半島南側にあるホルシュタインとシュレスヴィヒを、ロシアはリヴォニア(ラトビア北部からエストニア)とイングリア(現サンクトペテルブルク周辺)、カレリア(フィンランド南東部)を狙っており、ザクセン選帝侯アウグスト2世は私的にスウェーデン王カール12世に恨みがあった。
アウグスト2世はポーランド王とリトアニア王も兼ねていたため、この二人も巻き込まれる。
こうしてデンマーク=ノルウェー、ザクセン=ポーランド=リトアニア、ロシアは反スウェーデン同盟を結び、1700年、それぞれ獲得したい地域へと進軍した。
大北方戦争の開戦である。
スウェーデンはまず、ホルシュタインに進軍したデンマークを一極集中でぶちのめし、コペンハーゲンまで侵攻してあっけなく勝利、トラヴェンタール条約によってデンマークを開始早々離脱させた。
ついで、イングリアに侵攻しようとしていたロシアをその手前のナルヴァで破り撤退させ、リガを包囲していたザクセンも蹴散らした。
「今すぐアウグストさ下ろせ。したっけが、うち来」
「お前ん家行くのはやだけどー、上司下ろすんは構わんよ〜」
1705年、ワルシャワ条約によってポーランド=リトアニア王はスウェーデンの傀儡王が立ち、事実上属国となった。
開戦から5年、スウェーデンの北欧の覇者としての実力がまざまざと見せ付けられていた。