18世紀も危機: スペイン継承戦争


1701年、西欧ではついにスペイン継承戦争が始まった。
最初の戦端となったのは北イタリアで、交戦したのはフランスとオーストリアだった。

「イタリアちゃん封鎖ー!!はぁはぁ…ほんと可愛いよ…」

「ひっ!!オーストリアさん助けてぇ!!」

「イタリアから離れなさい変態!!」


「うごぁっ!!」

オーストリアとミラノを繋ぐ街道を塞いだフランスだったが、ヴェネチアを通って侵入したオーストリアによって打ち負かされ、立て直す暇もなくロンバルディア、サヴォイアと戦線は西に動いた。


「くっそぉ、こうなったらバイエルン!一緒にやるよ!!」


フランスは1702年にアルザスからプファルツ選帝侯領に侵入、バイエルンと合流してバイエルンから直接オーストリアに迫った。
フリートリンゲンの戦いでフランス・バイエルン連合軍は大勝し、ウィーン侵攻が現実的なものとなる。


その頃、スペイン領ネーデルラントに駐屯していたフランス軍は、1703年までにイギリスとオランダによってオランダ国境からベルギー中部まで押し戻されていた。
ウェストファリア以降4度目となるネーデルラント戦線は、ベルギーとルクセンブルクをボロボロにしていた。


「なんでウチらばっかり…」

「すみません、自分が弱いばかりに…」

「人の妹と弟に何してくれとんじゃ」

「ネーデルラント好きすぎかよ!」

「もうそろそろいいじゃん!ちょうだい!」


ベルギーたちを真ん中に、イギリス・オランダとフランス・スペインがにらみ会う。


「ごめんなぁ、親分が不甲斐ないばっかりに…」

スペインは申し訳なさしかない。

そんな中、イギリスはフランスのウィーン侵攻の知らせに焦っていた。

オーストリアが負ければ、ネーデルラント戦線はおろかこのスペイン継承戦争そのもので敗北しかねない。
しかし、今ここでイギリスがネーデルラントから離れようとすれば、危うくなるオランダ(陸軍はあまり強くない)から反対されるし、フランスに戦線を東に戻される。

そこでイギリスは、フランスとオランダ二人を同時に騙すことにした。
こっそりライン川・ドナウ川戦線に南下し、バイエルンを叩いてウィーンを守り、ついでにネーデルラント南方を固めるのだ。


「オランダ、ちょっとトイレ行ってくる」

「?あぁ…」


イギリスは心臓をバクバクと言わせながら全力で南へ駆ける。
もし失敗すれば、オランダとフランスを敵に回しかねない。
1704年、決死の騙し討ちである。

そして、同じく北イタリアから戻ってきたオーストリアとともにドナウ川のフランス・バイエルン軍をブレンルイムの戦いで破り、ドナウ川流域から駆逐。ライン川まで至ったが、フランスも援軍を出したためライン川はフランスの掌中に入った。

ネーデルラントに戻ったイギリスは1707年までにネーデルラントの大部分をオーストリア、オランダとともに占領し、戦線は膠着した。
オーストリアも北イタリアに戻り、サヴォイア以外の全域を占領。その後はサヴォイアを巡り一進一退の状況が続く。

東部ではネーデルラントの一部とサヴォイアしか獲得できていないフランスだが、スペイン戦線では勝利を重ねていた。

1703年、ポルトガルは14世紀から続くイギリスとの関係をメシュエン条約によって強化し、軍事同盟も締結していた。メシュエン条約ではイギリス産毛織物を輸入する代わりにポルトガル産ワインをフランスより安く輸出できることになっていたが、ポルトガルの貿易赤字が高まる結果となった。それでも、イギリスの力がポルトガルには必要だった。

イギリスはポルトガルに進駐し、さらにジブラルタルを占領してバレンシアを、バルセロナを占領してカタルーニャを制圧した。
もともとブルボン家による王朝に否定的だったバレンシアやカタルーニャはイギリスに賛同し、三方向からマドリードへと侵攻することが可能になった。

「あいつ敵多すぎやんな〜」

「…俺にも当てはまるからやめてくれ」


しかし、スペイン統一以来現在に至るまで不仲であるカスティリヤとアラゴンである。イギリス、ポルトガル、バレンシア、カタルーニャ連合軍に対してマドリード市民は冷酷な態度をとり補給ができず、フランス・スペイン軍によって巻き返された。

1707年、アルマンサの戦いでイギリスたちは決定的な敗北を決し、バレンシア、カタルーニャは制圧されてしまった。


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