18世紀も危機: オーストリア継承戦争


ポーランド継承戦争が終結した頃、オーストリアでは後継者問題が深刻化していた。男子のいない皇帝カール6世は、何とかしてハプスブルク家領、つまりオーストリア大公領全土の相続と、神聖ローマ皇帝位の継承をしなければならなかった。
ちょうどポーランド継承戦争でロレーヌ公フランツ・シュテファンがトスカーナ大公の座に移動させられ、空いたロレーヌ公に敗北したポーランドのスタニスワフをつかせていたが、そのトスカーナ大公フランツがカール6世の娘マリア・テレジアと結婚した。

そこで、カール6世は周辺の列強に様々な譲歩をしながら国事勅書を認めさせ、女子によるオーストリア大公位の相続を決定した。神聖ローマ帝位は女性では継承できないため、これは夫のフランツに継承させることも併せて決めた。

正確には、この国事勅書はマリア・テレジアによる大公位継承のためではなかったはずである。この勅書がマリア・テレジア誕生前、かつ男児のひとりが生存中だった頃に決められたからだ。どちらかといえばカール6世は、男女の問題というよりも、親族であるザクセン選帝侯アウグスト2世(兼ポーランド王アウグスト3世)やバイエルン選帝侯カール・アルブレヒトによる継承権の主張を恐れていたのだと考えられる。彼らの妻はカール6世の兄ヨーゼフ1世の娘、つまり従妹であり、婚姻関係を使ってザクセンやバイエルンにハプスブルク家の所領を要求される可能性があった。現に勅書発効後、この従妹たちの継承権は喪失する。

ただ、結果としてこの勅書は男児のいないカール6世からの相続を女子マリア・テレジアにさせることを可能にした。

それに当然不満を抱いたのが、ザクセンとバイエルンである。そしてこれを機と捉えたのが、プロイセンとフランスだった。
プロイセン王フリードリヒ2世は、軍隊の大改革によってプロイセン陸軍を欧州最強クラスにまでのしあげ、民衆からも慕われていた。フリードリヒ2世はブランデンブルク選帝侯領からオーセル川を上り、チェコ国境の北側に広がるシュレジェンを支配しようと画策していた。フランスはハプスブルク家の弱体化を狙っていた。

こうして、プロイセン、ザクセン、バイエルンの連合軍とフランスの支援が組織された。


***


1740年12月、プロイセンはシュレジェンに対する奇襲をしかけ、大部分を占領した。マリア・テレジア女帝はこれに激怒しすぐさま応戦に出るも、寄せ集めのオーストリア軍では欧州最強の陸軍に勝つことなどできなかった。


「仕方ありません、シュレジェンとチェコの一部はいったん差し上げますよ」

「なんで私なんですの!?」


シュレジェンとボヘミアの一部を割譲して一度停戦したオーストリアだったが、戦場となったチェコはかち切れた。

その後プロイセン、フランス、スペイン(ブルボン朝のフェリペ5世が王であり、いまだオーストリアに奪われたままの領土の回復を試みていた)の悪友3人は、ザクセンとバイエルンもけしかけてオーストリアを包囲するも、イギリスの助けもあってオーストリアはザクセンと和解した。

さらにマリア・テレジアは、ハンガリー王に即位したあとハンガリー議会のあったスロバキアに赴き、直接貴族たちに支援を訴えた。


「お、オーストリアさんの大事なところ…返せ…」


目の据わったハンガリーを見て、スロバキアはアホ毛を揺らして柱の陰に隠れる。


「ひえぇ…オーストリア氏の大事なところなのになんでハンガリーがあんな…」

「まったく、はしたない女ですこと」

「なんですって!?表出なさいよあんた!!」

「いいですわよこのマジャールゴリラ!!」

「あんたなんかボヘミアグラスのように粉々にしてやるわ!!」

「ちょ、ここ俺ん家だからやめ…」


チェコが煽ってハンガリーがキレる。2人して喧嘩しそうになるが、オーストリアの「行きますよ」という鶴の一声によって、2人はにらみ合いながらバイエルンへと侵攻。ハンガリーはプロイセンへの恨みとチェコへのストレスでフライパン(のようなもの)を振り回し、勝手に神聖ローマ皇帝位を継承していたカール・アルブレヒトを追放し、バイエルン全土を占領した。このときのハンガリーの強さは伝説である。
オーストリアと和解したザクセンに続きバイエルンまで離脱し、プロイセンは顔をひきつらせた。

1744年、スペインはミラノを取り返そうと北イタリアへ侵攻するも、「楽園みたいやんなぁ…」と息を荒げるスペインの不気味さに慄いてオーストリアのところに帰った。正確には、サルデーニャ王国がオーストリア側で参戦してミラノ領有を固めたため、スペインはそれ以上進めず撤退した形である。

同年、フランスはイギリスとオランダを押さえるためにオーストリア領南ネーデルラントへと侵攻した。オランダとイギリスは安全保障上見過ごせない戦端に大規模な派兵をし、これにはアルレシアも出兵することにした。
アルレシアは散々イギリスから参戦を求められていたが、植民地で戦争をしているイギリスとフランスに巻き込まれたくなかったこともあり拒否していた。しかしネーデルラントがフランスに占領される方が、北海を挟んで目と鼻の先にあるアルレシアにとっては危険だ。


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