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1761年9月7日。
建国からちょうど1360年のこの日、256年ぶりとなる独立した国王が即位した。
カール2世としてアルレシア王になったあとすぐ、王は勅令で女性継承を認めた。一兵卒から国王へのとんでもない飛び級は、欧州全土で驚きとともに好意的に受け止められた。ミュンスターのカールの家族が驚きすぎて腰をぬかすハプニングはあったものの、王宮にやってきて後宮暮らしを始めている。
カール2世は元兵士だけあって軍事的感覚に優れ、ハノーファーでもイギリスでも、将来は有望な将校を期待されたいたほどの優秀さらしい。そこでカール2世はアルレシア軍の大改革を開始し、徹底的に軍を訓練した。フランスはハノーファーでイギリスとの戦闘で手一杯のこの間に、という算段だ。

大陸部での戦況は、依然としてプロイセンは劣勢だった。イギリスはハノーファーにおいて概ね勝利しているものの、プロイセンは1760年から1761年にかけて概ね負けており、勝ってもそれは決定的なものにはならなかった。

むしろこの年の12月、東プロイセンのコルベルクがロシアによって陥落した。ここからロシアは自軍に対して大規模な補給を派遣できるようになり、プロイセンはまさに亡国の危機に遭った。
イギリスは無情にも「勝たなきゃ俺がお前を滅ぼす」と脅しをかけ、プロイセンは涙目になった。もはやここまで、フリードリヒ2世もプロイセンもそう思った。

しかし、状況は突然変わる。1月5日、ロシアのエリザヴェータ女帝が崩御し、ピョートル3世が即位。彼はプロイセンが好きだったためすぐさまコルベルクを解放し、プロイセンから奪っていたポンメルンからも撤退してスウェーデンとプロイセンの間を仲介した。
一気に北の脅威がなくなったプロイセンは、ロシアから数万の援軍を得て、怒涛の連勝を開始した。ブランデンブルクの奇跡である。

フランスはこのままでは負ける上、アルレシアの独立によって永遠にこの地を合法的に占領する方法がなくなると考え、「同じブルボン朝のよしみでしょ!?」とアルレシアへの進軍を開始。
ここに、最後の第四次アルレシア継承戦争が勃発した。
1月にイギリスとスペインが開戦したこともあって、フランスはスペインと連合艦隊を組んでアルレシアへと侵攻、エッジポートとスコティエを2月4日に占領した。奇襲作戦に太刀打ちできず、さらにポルタスヴィアから進軍した兵によるレガリスタードへの無差別砲撃が再開された。

これがアルレシア継承戦争であるならば、英仏の戦争には関係ない、とオランダとデンマーク=ノルウェーは考え、ここに第二次北海同盟を組織。オランダとデンマーク、ノルウェーが再び助太刀しにやってきてくれた。

2月10日、北海同盟の海軍とフランス・スペイン海軍がアルレシア南東沖のドグラント諸島で会敵した。真冬の海は凍えるような寒さで海も荒いが、アルレシアは負ける気がしなかった。
前方に見えるフランスを睨んでから、アルレシアは指揮艦船の将兵たちに呼びかける。


「優秀な将兵諸君!これは我々アルレシア王国の独立後最初の戦いだ!新たな王室の最初の王の初陣だ!この栄誉ある戦いに、負けて恥を塗りたいか!!」


甲板に並んだ将兵たちはじっと耳を傾ける。微動だにしていない。


「…否!!この戦いに、我々は勝利以外の結果を決して認めることはできない!!諸君らの名前が、働きが!!この国の新たな歴史となり血肉となるのだ!!総員、やつらに鉛と火薬の雨を降らせろ!!!」


兵士たちの轟くような鬨の雄たけびが上がる。ついに、開戦である。


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