金満武装中立
アルレシアとオランダの馴れ初めを語るという訳の分からない会議は、いつしか欧州諸国の昔話大会となっていた。いい歳したおじさんたちの懐古である。
今がそれなりに平和だからこそ、近代の戦争に次ぐ戦争、そして革命の嵐という時代が懐かしく、そしてもう戻りたくないと感じる。もう戻らないために、戦後欧州は努力を重ねてきたのだ。
事実上の最初の世界大戦であった七年戦争の話を終えると、口々に「大変だった」「しんどかった」という話になる。
「それにしても、いよいよアルレシアは独立したわけだろう、あのあとの大変な時代をどうやって生き抜いたんだ?」
すると、ドイツが純粋な興味で聞いてきた。もう会議の体裁を修正する気はなくなっているようで、ドイツらしい真面目な態度で勉強しようとしていた。
「ドイツは仲直りしたばかりだからなぁ」
フランスがによによと言えば、ドイツは気まずそうに目を逸らす。隣のイタリアが珍しくフォローに入った。
「まぁまぁ、あの頃のアルレシア兄ちゃんは、なんていうか…めっちゃしたたかだったよね」
「あそこまで経済と金に吹っ切れると、あの外交戦術になんだな」
イタリアの言葉にはイギリスがうなずいた。すぐ隣で、アルレシアの影響をもろに食らった国だからだ。当時イギリスと戦争しまくっていたフランスはため息をつく。
「独立から1世紀半にに渡って、あのクソめんどくさい欧州外交情勢の中を常に勝って来たんだもん、アルレシアの国民は何を考えてたらあんな政治できんの?」
「金のこと」
ぶれないスタイルのアルレシアは即答する。欧州諸国がドン引きする中、隣のオランダだけが「あん頃のアルレも格好良かったで」と頷いていた。
***
1762年の年末、クリスマス条約によってフランスはアルレシア王国から撤退し、ここに87年間にわたって断続的に争われたアルレシア継承戦争はすべて終結した。
翌年には七年戦争も終結し、全世界で戦われた大戦争は幕を閉じた。
戦争中、アルレシアは200年以上に渡って続いた同君連合が終わり、奇跡的に見つかったかつてのレガリスタード朝の血を引くカール2世が即位、ハンザ=ブルボン朝が成立しイギリスから独立した。
カール2世即位までの間、同君連合期間中は枢密院が実権を握っており、その長い間の貴族政治は安定していた代わりに前近代的だった。
カール2世は絶対王政を再び開始して、当時流行っていた啓蒙思想に基づく「上からの近代化」を行った。
軍事改革に始まり、行政や司法制度、経済構造改革や数々の法改正などを断行していき、アルレシア王国は急速に近代化する。第四次アルレシア継承戦争によって甚大な被害を被った南部のリートラント平野やポルタスヴィア、王都レガリスタード新市街の復興にも積極的に取り組み、特に壊滅したポルタスヴィアは港湾都市としての機能に特化した都市改革が行われた。
合わせて造船所が大量に造られ研究が進み、多くの新型商船と軍艦も建造された。独立したために多くを自前にせねばならず、必要な軍拡だった。
こうした取り組みには、長年同君連合を組み、ともに戦うことが多かったイギリスとオランダからの融資が利用されている。
カール2世はこの2か国との外交関係を深化させることにも熱心だった。1766年にはオランダ総督ウィレム4世の娘と結婚しオラニエ家と結び、オランダ東インド会社への投資を加速させた。
イギリス東インド会社への投資も強化し、同君連合時代から続く新大陸交易に関する取り決めを更新した。
一方でカール2世は、200年ぶりの完全な独立状態となった王国をどうするのが欧州諸国から非常に注目されていた。七年戦争終結によって大国の対立は一時的に収束していたが、依然として勢力均衡に基づく腹の探り合いは続いており、常に経済的に優位を有するアルレシアがどのような立ち位置で国際関係を構築するのか、各国の気になるところだったのだ。
特に、イギリスとフランス、オーストリアとプロイセン、ロシアとスウェーデンの間の外交関係は緊張を孕むものであり、それらの国は注視していた。
結果として、カール2世の判断は従来の不干渉原則を堅持するという姿勢だった。
「王室の最大の関心はアルレシア王国の国民の経済的利益が損なわれないことであり、それは各国との一定の外交関係の上に成り立つものであると認識している」という王室の宣言は、アルレシアの経済至上主義が厳然として存在していることを各国に示し、それぞれはひとます安心した。