5月3日の誇り
1780年代は、アメリカ独立だけでなく様々なインパクトが起きていた。
1780年ちょうど、マリア・テレジアが亡くなった。1783年のパリ講和直前には、アイスランドのラキ山が大噴火を起こし、欧州は「砂の夏」と呼ばれる異常気象を経験した。
空気中に放たれた有毒なガスが欧州全域に広がり、イギリスやフランスでは数万人が死亡している。火山灰による雷雨が頻発し、冬は大寒波、春は雪解けによる大洪水が欧州を襲い、そうした数々の災害は重大な飢饉をもたらした。
1785年にはフリードリヒ2世が亡くなり、1787年からはロシアとオスマン帝国の戦争が、1788年からはロシアとスウェーデンとの戦争が始まった。ともにロシアの拡張に警戒して起こった戦争である。
これらの戦争でスウェーデンはロシアに善戦し1790年に講和、カレリアを奪い返すことこそできなかったものの、フィンランドへの干渉を強めようとしていたエカチェリーナ2世にそれを躊躇わせるには十分だった。また、その強さは欧州諸国もスウェーデンの軍事力を一定のものとして評価させた。
オスマン帝国はクリミア半島とウクライナをロシアに奪われ、ロシアはクリミアにセヴァストポリ要塞の建築を開始した。
オーストリアとプロイセンは、1772年の第一次ポーランド分割で協調したことで七年戦争の禍根をある程度回復させた。1779年にはバイエルン継承戦争が起こったものの、これはボヘミアでオーストリアとプロイセンがじゃがいもを食べて終わった。そのためこれをじゃがいも戦争ともいう。大量の駐屯が行われたチェコは疲弊しキレている。
マリア・テレジアもフリードリヒ2世も亡くなったことで両国の関係は新たな段階に入る。
ロシアはスウェーデンと関係を改善していき、1790年に入る頃には東方の混乱はひとまず落ち着きつつあった。
そうして1791年、ポーランドで5月3日憲法が制定されると、大きな動きが起きるに至った。
周辺国がそれぞれ別の戦争に目を向けている間、ポーランドでは改革の必要性に迫られていた。分割によって周辺国の脅威が明るみになり、早急に政治混乱を収束させる必要があったからである。
ポーランドが参考にしたのは、イギリスの政治とアメリカ合衆国憲法だった。フランスからはルソーなどの思想家の助力も得て、ポーランドはもともとの自由主義と合わせて独自の憲法を起草した。
「ていうか〜、再版農奴とかダサくね〜?俺ん家、スラヴ系だけじゃなくてモンゴル系とかドイツ系とかいろいろいるけど〜、俺的には皆参政権持つべきだと思うんよ〜」
「ポー…?」
「…みんなが平等で、幸せな民主主義ってマジ理想だと思わん?」
口調こそ緩いが、ポーランドの言葉にリトアニアはひどく驚いた。選挙王政を一緒にやっていた仲だが、まさかすべての国民、少数民族や異教徒などの人種すら含めて一律平等に扱い、選挙権を持たせるなど。
「でも今のままじゃ投票とかできないし〜、まずは教育が必要なわけ」
「はぁ…」
「てわけで〜、国家教育委員会作って全国民教育するつもりなんよ」
「マジで言ってるのポー…」
「マジマジ〜」
確かに、世界最初の民主主義憲法はアメリカ合衆国憲法である。しかしその憲法ですら、黒人や女性の権利は制限され、白人特権を追認するもので、民主主義として欠陥があった。絶対王政を一部維持するイギリスもそうだ。
ポーランドは、立憲君主制、議院内閣制、議会制民主主義、三権分立といった政治機構を作り上げ、貴族も平民も農民もすべて平等とした。それを現実的なものにするために、ポーランドは世界初となる教育省にあたる行政機構を構築した。
全国民が、自ら考え、自らの国家の行く末を決められるようにするために教育が必要だと見抜いたのである。
こうして現代民主主義とほぼ同レベルの最高レベルの民主主義を18世紀に成立させたポーランドは、全国民の教育によって、人間が人間としてすべて平等に生きられる国家を目指した。
しかし、戦争が落ち着いたロシアはこのような姿勢に激怒した。ロシア権益が失われることを意味していたためである。
1789年にすでにフランス革命が勃発していたが、それもあってポーランドのこうした改革は周辺の君主国からはあまりに看過できないものだった。
1791年から92年にかけて、ロシアはポーランドの反改革派の手引きで領内に侵攻し大虐殺を実行。プロイセンとともに第二次分割が行われ、国土は更に縮小した。反改革派すら、まさか再び分割されるとは思っていなかったのだ。そして1795年、ポーランドは地図から消えることになる。
それ以降、ポーランドは冷戦終結まで虐殺と蜂起と繰り返すが、人々には常にこの5月3日憲法があった。すべての人間が人間らしく生きられる国家を築こうとした真の民主主義・人道主義国家は、200年近くに及ぶ支配の中でその誇りと思想をなくさず、冷戦後に「連帯」による落ち着いた民主化プロセスを成功させた。
それまでの、ロシアやドイツによる凄惨な抑圧と虐殺の嵐の時代は、ここから始まった。