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第一次対仏大同盟に参加したアルレシアだったが、その同盟はもはや長続きしなかった。
テルミドール9日のクーデターによって国民公会は倒れ、総裁政府が成立した。一時は逮捕されたナポレオンも、選挙の際の反乱を鎮めた功績から再び返り咲き、イタリア遠征で連勝。
北イタリアを衛星国家で埋め、オーストリア領内にまで進軍した。さすがにオーストリアもそれ以上耐えることはできず、1797年10月、カンポ・フォルミオ条約によって講和した。ヴェネツィアをオーストリアは併合し、それ以外の北イタリアは完全にフランスの衛星国と化した。
こうして第一次対仏大同盟は瓦解し、イギリスとアルレシアのみとなってしまったのだった。
更にフランスはイギリスを弱めるべく、エジプト遠征を行った。しかしナポレオンはここで艦隊を失う敗戦を喫し、エジプトから動けなくなってしまう。それをイギリスは好機ととらえた。
「よっしゃいまだアルレシア!」
「…なんかお前テンション高くね?」
「アルレシアと戦えると思ってなくてな」
そんな殊勝な言葉は聞き流し、さっさと2人はスウェーデンの仲介によるラシュタット会議での工作に乗り出した。
「すみません、道が分からなくて会議に出られなくなりました」
「嘘なのかどうか微妙だよな…」
ラシュタット会議はオーストリア外相メッテルニヒの作戦によって何度も延期され、それをアルレシアが呆れて見ながら、第二次対仏大同盟が結成された。会議開催の時間稼ぎによって成立した同盟には、イギリス、アルレシア、オーストリア、ロシア、オスマンが参加した。
会議遅延の間に、フランスは教皇領とスイスを併合し、これらも衛星国とした。
1799年、第二次対仏大同盟はイタリア・スイスにおける戦役に乗り出した。最初はフランスに対して優位に進めたが、こっそり帰って来たナポレオンがブリュメール18日のクーデターによって統領政府を成立させると、アルプス越えによって北イタリアを叩いた。
「ごめんねイギリス君、僕帰るね」
「すみませんが私も離脱します」
「はぁ!?」
そんなナポレオンの猛攻にロシアとオーストリアは早々に離脱し、フランスの占領地を承認した。シリアでの戦役が終わったオスマンも静観に戻り、再びイギリスとアルレシアの2人だけになって同盟は瓦解する。
イギリスはマルタ島を占領して戦いを続けるが、これには今度は北欧諸国が懸念を示した。重要な中継地であるマルタ占領は、デンマーク=ノルウェーとスウェーデンにとって損害となるものだった。
更にロシアは、もともと地中海に英仏の影響が及ぶのを避けるために第二次対仏大同盟に参加した経緯があるので、イギリスによる地中海進出はロシアの国益を損ねるものだった。
こうしてロシア、デンマーク、スウェーデンは第二次武装中立同盟を組織し、イギリスを孤立させた。
「クソ、面倒なヤツらだな…!」
「手は貸す」
「アルレシア…?」
「一回やってみたかったんだよな、北海封鎖」
それに対し国防という死活問題を抱えるアルレシアは、ついに北海封鎖に打って出た。デンマーク、スウェーデン、ロシアの船舶を次々と拿捕してその積み荷を奪い、乗組員を捕虜とした。もちろん民間人ばかり、デンマークたちは途端に劣勢に立たされる。その隙にイギリスはデンマークを海戦で撃破し、そのままエジプトのフランス軍を壊滅させた。
スウェーデンとロシアは戦わずしてイギリスと和解したが、デンマークは負けたことでフランス側への色を強くしていくこととなる。これこそが、デンマークの列強としての最後の一幕を自ら下ろす行為となった。
しかしこの直後、内政について英仏はともに問題が出て来たために戦争終結に動き、1802年、アミアンの和約によってイギリスとフランスも和解した。イギリスはマルタやケープなどから撤退し、アルレシア軍も一応本国で戻したが、フランスとの講和をするべきか考えあぐねていた。
すでにフランスは欧州のすべての国家と和解しており、もうフランスと和約していないのはアルレシアだけだ。フランスからも交渉の誘いが来ている。
しかし、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、ラインラント、スイス、北イタリアを占領したフランスがこのままなわけがないし、どうせイギリスがそれに反発して再び戦いが起こる。
産業革命がピークに差し掛かるイギリスは世界の工場となろうとしていたが、その技術は一切公開されていない。これを何とかしようと思っていたアルレシアは、ここで戦いを続けることで後にイギリスからの譲歩を引き出すことを考えた。