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1802年4月2日、同盟もなくなりイギリスすら和解した局面にあってアルレシアは、フランスおよびその衛星国船舶に対する北海封鎖を宣言した。
密貿易をするオランダは別として、そういったことをしていないベルギーやイタリア、そしてフランスは大損害を受けることになった。通関法すら受け付けず、完全にフランス共和国に対する封鎖である。莫大な利益をもたらすバルト海交易から締め出されたフランス勢は当然これに激怒する。
一方、これに対して欧州諸国は驚いていた。これまで不干渉を貫いてきたアルレシアが、単独で交戦を続けるとは思っていなかったのだ。特に直接攻撃を受けたわけでもないアルレシアがそこまで強硬な態度を取る理由が、周辺諸国にはまだ理解できなかった。
「アルレ兄ちゃん、どうしてもダメ?」
「アルレシア兄ちゃん…」
「うっ…ダメだ」
ベルギーとイタリアのうるうるとした目に一瞬ほだされそうになったが、背後にちらつくフランスを思い出して首を横に振る。
「お、おい、アルレシア、俺らも困るんだっぺよそれ…」
「そうだぜアルレシア、別にお前は和約しときゃいいじゃんかよ」
「別に、フランスと戦争してるわけじゃない。あくまでこれは俺の通商政策の一環。あれだ、保護主義的な」
こんな攻撃的な保護主義はない。
容赦なくアルレシアは強大な海軍や重武装商船によって該当する船舶を拿捕していき、沈没も含めて50隻以上の商船が沈んだ。
「アルレシア!お兄さんまだアルレシアには何もしてないじゃん!」
「だから強くなったフランスに警戒して保護主義やってんだって」
「海上封鎖はもう戦争だよ!」
一応、宣戦布告前にフランスは口で抗議しに来た。アルレシアは家に上げてやりはしたものの、この姿勢を撤回する気はなかった。
むしろ軍艦を更に建造して軍拡するほどだ。
やがてフランスが露骨にイギリス製品を阻害し始めると、アルレシアはその代理輸送を行って東欧や北欧にイギリス製品を多く輸出した。それで儲けるだけでなく、イギリスの輸出を伸ばし、フランスの経済支配を防ごうとするアルレシアに、フランスは苛立ちを募らせた。
しかし、ダーリントン条約がまだ有効なアルレシアに攻撃すれば、自動的にイギリスとも開戦してしまう。イギリスはフランスの態度に和約の破棄を検討し、すでに軍隊はいつでも出撃できるようになっていたため、フランスとしては準備をしてから挑みたかった。そのためフランスはアルレシアに対して反抗もできないまま、1803年を迎える。
5月、イギリスは和約違反を理由にフランスに対して宣戦布告を行い、翌年にはナポレオンは第一帝政を開始して応戦した。
直接イギリスへ侵攻する意図があることに気づいたイギリスは、1805年第三次対仏大同盟を組織する。
今回のメンバーはイギリスの他、アルレシア、オーストリア、ロシア、スウェーデン、そしてロマーノである。ロマーノはスペイン王族のもとではあるものの一応は独立国家であり、単独で参戦することになった。スペインは金がないと言って今回は参加しない。
7月、アルレシアはイギリスとともに海軍を出していた。ともに指揮艦船に立つと、イギリスはどこか感慨深そうに見てくる。
「まさかここまで協力してくれるとはな」
「イギリスへの侵攻は俺にも脅威だし」
このとき、フランスによるイギリス直接侵攻を防ぐためブローニュへ向かっていた。アルレシアは恩を売っているだけだがそれは言わない。イギリスはしかし納得していなさそうだった。
「にしても直接攻撃までしてくれるとは…」
「友達守りに行くのそんなに変?」
「…いや」
そう言うと少しイギリスは照れた。どうせイギリスのことだ、アルレシアが何か企んでいるのも、今のがリップサービスだとも分かっている。それだけ長い付き合いなのだ。
それでも喜んでしまうあたり、こいつは友達が少ないなと思う。