革命戦争: 大陸封鎖と危機
7月のフィニステレ岬の戦いでイギリスとアルレシアはフランスに大勝する。
その後、8月にオーストリアがフランス統治下のバイエルンに侵攻するが、フランスはそれを再占領し、11月には逆にウィーンまで至った。
追い詰められたオーストリアにロシアが手助けに来ると、両国とフランスは一同に会する。
アウステルリッツの三帝会戦である。
この戦いではナポレオンは見事な勝利を獲得し、ロシア皇帝アレクサンドル1世は感銘を受けてフランスとの戦いをやめてしまった。オーストリアも敗れたことで同盟を脱退した。
この直前にイギリスとアルレシアはトラファルガーの海戦で勝利を収めたが、1806年にはロマーノも占領されてしまった。こうして同盟はまたも瓦解し、またもイギリスとアルレシアだけになってしまった。
この年、ナポレオンはナポリ王に兄を、バタヴィア共和国を解体してホラント王国にするとその王位に弟をつけた。そして7月、ライン同盟を結成し、皇帝を退位させることで、神聖ローマ帝国は名実ともに世界史から姿を消した。
このときすでに、フランスはハノーファー選帝侯領をイギリスから奪っており、合わせて傍系が支配していたブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンヴュッテルや、ヘッセン、マグデブルクなども獲得していた。ライン同盟と合わせれば、フランスのドイツ占領地は中央に及んでいた。
これによってプロイセンはついにフランスを直接の脅威と捉え、ロシアやスウェーデン、イギリスに接近した。
10月、第四次対仏大同盟が結成され、イギリス、アルレシア、スウェーデン、ロシア、プロイセン、ザクセンが加わった。
「中欧は俺様が守る…!」
「ん、力は貸しちゃる」
「僕も援護するよ」
東方へと足を進めるナポレオンを警戒するのはどこも3か国とも同じで、それを食い止めようとした。
しかしプロイセンは長く戦わなかったためか、僅か20日程度で敗北し、ベルリンまで占領された。東プロイセンまで後退しロシアと軍の再編を行うことになり、ナポレオンは不遇の目に遭ってきたポーランドを解放し熱狂的に受け入れられた。
陸路で向かわれてはアルレシアにはできることはなく、イギリスも力は貸していたがあまり役に立てなかった。
更に言えば、11月にフランスは大陸封鎖令を発令し、欧州とイギリス、アルレシアとの貿易が停止されることになった。
フランスはこのとき、デンマーク=ノルウェーを友好関係にあり、スペインとは同盟、ネーデルラントとオランダ、全ドイツとスイス、イタリア半島、ポーランドまで支配しており、アルレシアが寄港できる国はポルトガルとイギリスしかなくなっていた。封鎖令が出てもオランダとは密貿易がむしろ活発化したものの、それは距離が近いからできるのであって、アルレシアは大半の貿易機会を喪失した。
自国内で産業革命による生産と消費が可能なイギリスと違い、産業革命をしておらず植民地ももたないアルレシアは完全に経済が破たん寸前まで一気に凋落することとなった。
また、この1807年の7月、完全に敗れたプロイセンとロシアはティルジット条約を結んで領土の割譲に合意、同盟は瓦解した。
10月にはフランスの圧力によってロシアはスウェーデンへ侵攻し、言う事を聞こうとしないスウェーデンを無理やり大陸封鎖に参加させた。このとき、フィンランドがロシアに割譲されることとなり、それは第一次世界大戦終結まで続く。
デンマーク=ノルウェーはフランスと正式な同盟を結び、唯一属国ではなく対等な関係となった。
いよいよアルレシア経済は疲弊しきってしまっただけでなく、ここまで欧州大陸がフランス側につくと、いつ侵攻されてもおかしくなかった。幸い、フランス海軍が弱小であるおかげで当面は大丈夫そうだが、北欧やロシアの艦隊を動員されては勝ち目はない。
1807年、ついにアルレシアは危機に瀕した。