革命戦争: 先取り産業革命


アルレシアは1809年、イギリスとオーストリアが同盟を考え始めたところでまたイギリスの家を訪れた。
ここまで同じようなことが続くと、イギリスも最初から諦めムードである。

イギリスの家のソファーに座り、アルレシアは正面に座るイギリスに紙を渡す。それはやはり協定で、イギリスは嫌そうにしながらそれを確認した。


「…そろそろ来るかと思ってたが……」

「これまで俺がしてやったこと、忘れたとは言わせねぇぞ」


イギリスがアミアンの和約を結んでもなおフランスと敵対し続け、これまですべての同盟に参加し、直接被害が予想されない戦役にも参戦した。デンマークが完全にフランスと同盟している中で、アルレシアがフランス側につけば絶望的なのはイギリスが一番よく分かっている。


「…まぁ、仕方ねぇか…いずれにしても、俺の経済優位はほぼ確定してるしな」

「現状、俺の不景気が収まらねぇとフランスには適わない。俺の協力取り付けるなら不可欠だ」

「それもそうだ」


こうして、イギリスはやはり渋々ではあるが協定に署名した。
ヨーク条約と呼ばれるそれは、イギリスが禁じている産業革命の輸出をアルレシアに対して許可する代わりに、アルレシアがイギリスとの同盟を更新するというものだ。
不景気に悩まされるアルレシアの工業力を高めることで国力を取り戻し、戦争に参加するのである。

こうして、ダーリントン条約に続くヨーク条約が締結され、アルレシアではこの年より産業革命が始まった。
イギリスが大陸諸国に産業革命の輸出を許可するのは、1825年になってからであり、アルレシアはこの状況下であったからこそ譲歩を引き出した。

4月、第五次対仏大同盟が結成され、イギリスとオーストリア、アルレシアが参戦した。イギリスとアルレシアはオーストリアを手伝うような形でその陸上戦に加わるも、イタリア、ポーランド、バイエルン方面に展開したオーストリアはいずれも敗北し、結局オーストリアは年内に講和して大規模な領土割譲を行った。

これにより、ナポレオンは大半の欧州大陸をその手中に収めることに成功した。
オランダはついに密貿易がバレてフランスに完全に併合され国家が消滅、インドネシアをイギリスとアルレシアに託して一度地図から消えた。

それからの3年間、フランス帝政は絶頂期を迎え、イギリスとアルレシアは産業革命に勤しんだ。しかしこの3年で各国はイギリスやアルレシアとの貿易が停止されたことで困窮を極め、徐々にフランスに対する嫌悪感を強めていく。
さらにイベリア半島での半島戦争は、スペインとポルトガルがタッグを組んでナポレオンを破り、フランスは大損失を被った。

そんな様子を見てロシアが大陸封鎖令を無視するようになると、ナポレオンはロシア遠征を行った。

1812年、ロシアはポルトガルで習った焦土戦術を使い、フランス軍を大敗させた。モスクワの大半を失う大火を起こして補給を絶ち、冬将軍の追い打ちもあって、フランスは完全に敗北。
このロシア遠征の敗北によって、各国はいよいよフランスへの反抗の時が来たと判断した。

ロシア遠征に際して第六次対仏大同盟が組織され、イギリスとロシア、アルレシアが加わっていた。ここに1813年2月にプロイセンが加盟した。


「俺様がドイツ解放してやるぜ!!」

「僕も混〜ぜて」

「うげっ…」


プロイセンの後ろから圧をかけるロシア。その2人は5月の戦役で大いに活躍し、フランスを互角に戦った。決着はつかずオーストリアの手で6月に休戦したが、同じころイギリスとアルレシアはポルトガルとスペインをほとんど制圧し解放、フランス国境へと北上していた。
連合側の様子にスウェーデンも参戦を決意し、7月に同盟に参加。オーストリアは休戦協定を発展させるための講和会議を主催するも、フランスやイギリスは譲らず決裂した。
そして8月にオーストリアも大同盟に加わり、フランス軍30万に対して連合軍は45万になっていた。


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